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近づくヘリ、緊急手術「欧米先進国のレベルで」  <共同通信>
2009.12.24

赤らみ始めた夕空の向こうからヘリコプターが近づいて来る。機影がはっきり見えると同時に、静かな田園地帯にごう音が響いた。屋上のヘリポートに着陸。ストレッチャーに固定された幼い女の子の頭がのぞく。慎重に、しかし機敏に。5階の小児集中治療センター(PICU)に運び込まれた。(子どもはいずれも仮名)
 ▽白い影
 女の子は真央ちゃん(4)。この日午後3時ごろ、浜松市内の道路を横断中、2人乗りバイクに跳ねられ、頭を強く打った。まもなく近くの総合病院に救急搬送された。手足の動きが鈍くなり、意識も低下している…。「危険な状態だ」。医師はこども病院に受け入れを依頼、ドクターヘリが出動した。
 真央ちゃんが横たわるPICUのベッドの周りに医師や看護師らが一斉に張り付いた。小さな体に細い針が刺さり、さまざま機器とつながれる。採血、点滴、血圧、心拍数…。あわただしい動きが続く。コンピューター断層撮影(CT)の画像には、頭蓋骨とその内側の硬膜との間にうっすらと白い影が見えた。
 「血液がたまり脳を圧迫する硬膜外血腫かもしれない。放置すれば手足のまひや言語障害が残る恐れがある」
 PICUの医師川口敦さん(31)が説明してくれた。小児脳外科スタッフが急きょ集められた。午後7時、頭蓋骨を外して血腫を取り除いた上で止血する緊急手術が始まった。

 ▽重い負担

静岡県立こども病院のPICUは、2007年6月に創設された。入院中の子どもの急な容体悪化や術後管理だけでなく、交通事故や急病の救急搬送にも対応する国内有数の小児専門施設だ。
 年間患者数は約500人。12のベッドに対し、13人の医師、32人の看護師が24時間交代で常駐する。医師のほとんどは30代で、全国各地から小児救急を専門的に学びたいと志願してやってきた。緊急呼び出しにも応じられるよう、敷地内に職員用の住宅もある。
 「発端は、医師の過重労働の解消だった」と吉田隆実院長(65)。
 以前は脳外科や心臓血管外科の医師が集中治療も担当したが、どの科も医師は数人。睡眠不足になりがちな当直明けに手術するのが当たり前だった。
 「病院全体で医師を1人2人増やしても負担の軽減にならない」。そこで、救命の専門チームづくりを提案。採算を理由に難色を示す県側と数年、交渉を続けた。
 今では先進例として国会でも取り上げられ、全国の自治体や医療関係者がひっきりなしに視察に訪れる。植田育也センター長(42)は「静岡の子どもならいつ何が起きても欧米先進国と同じレベルで救命する」と胸を張る。
 ▽救われない命
 手術開始から約2時間。真央ちゃんは手術室からPICUのベッドに戻った。翌日の昼すぎにのぞくと、人工呼吸器は外され、両親にジュースをおねだりしていた。
 搬送から24時間足らず。あの時の様子を思い起こすと「今」が信じられない。「PICUやドクターヘリのおかげで救われました。運が良かった」と母親(30)。突然、地獄に突き落とされたような思いだっただろう。回復したわが子を温かく見詰める姿に、同じ幼い子どもを持つ記者も、思わず顔がほころんだ。
 記者が滞在したわずか3日間にも、次々と幼い子どもが運び込まれてきた。
 サッカーの試合観戦中に誤って2階シートから転落、頭蓋骨を折って運び込まれた翔君(5)。肥大した脳腫瘍の摘出手術を明日に控えた大希君(1)。新型インフルエンザでガラス張りの部屋に隔離され、泣きじゃくる寛太君(3)…。
 しかし、救われる命ばりではない。
 家族写真や千羽鶴で飾られたベッド。静かに眠る女の子に、家族と看護師が新しい服を着せながら、ほほえみかけていた。自宅の風呂でおぼれ、脳死と診断された美咲ちゃん(1)。回復の見込みはないという。
 「全力を尽くしても救えない命もある」と植田センター長。「家族がその事実をきちんと受け入れ、みとりができるよう寄り添うのもわたしたちの仕事です」(2009年12月15日 共同通信 土井裕美子)