認定NPO法人
救急ヘリ病院ネットワーク
HEM-Net

ニュース&アーカイブ
ニュース
生きがいのある幸せ <産経新聞>
2006.05.28

人生に「たら」や「れば」はない。それでも――。

 医師がヘリコプターに乗り込んで救急出動し、患者の搬送中にも治療を行う「ドクターヘリコプター」の全国的な普及に向け、NPO法人(特定非営利活動法人)の「救急ヘリ病院ネットワーク(HEM-Net)」理事長を務める国松は、時折り「人生の綾」を感じる。

 あのとき撃たれていなかったら。命を助けてくれた医師との出会いがなければ。スイスに赴任していなかったら……。ドクターヘリの普及活動に身を投じることもなく、退官後は全く別の人生を歩んでいたかもしれない。そう思う瞬間がある。

  あれから10年以上の歳月が流れたが、右足に残っているしびれが、記憶をいやでも呼び起こす。

 平成7年3月30日午前8時25分。東京都荒川区の自宅マソション前で狙撃された。ニッポン警察のトップ、警察庁長官を狙った銃弾だった。

「体に弾の衝撃を受けた。不意打ちのように後ろから突然撃たれた」。一発、二発……。「倒れ込んでも次から次へと撃ってくるので、とにかく身を隠さなくてはと思い、腹ばいになって逃げた」。狙撃手の発射した4発の銃弾のうち、3発が腹や右足のつけ根に命中した。

 10日前の3月20日、12人の死者と多数の負傷者を出した地下鉄サリン事件が発生。22日からは、山梨県上九一色村(当時)を中心としたオウム真理教教団施設に対する家宅捜索が連日続けられていた。

「狙撃されるとは思わなかったが、社会全体にに嫌な雰囲気があり、油断していた。しまったとほぞを噛む思いだった」。一方で薄れゆく意識の中、「その日に大学の同級生との昼食会を予定していたのでキャンセルしなくではいかんかなとつまらんことも考えていた」という。

 日本医科大付属病院に救急車で搬送されたのは午前8時58分。すぐ手術が始まったが、何度か心臓が止まるほどの重傷だった。出血は激しく、6時問余りにわたった手術で輸血は10リットルに及んだ。臨死体験もした。花畑の中に立つ自分を、自分が見つめていた。

 集中治療室で目覚めると、心配そうな妻、浩子(64)の顔があった。「あー助かったのか」と思う一方、「手術が成功したとはいえ、生き永らえることはないだろう」と辞意も考えた。

 しかし、奇跡的な回復で6月15日には77日ぶりに病院から登庁し、公務復帰を果たした。9年3月の勇退まで2年9ヶ月警察庁長官をつとめた。

 執刀に当たった医師の一人からは「早く病院に着いてくれたので、われわれも打つ手があった」と言われた。

 救急医療では1分1秒が人命を左右する。国松が一命を取り留めたのも、狙撃されてから病院に搬送されるまでの時間が30分と短かかったからだ。

 都会であれば救急車での搬送もそれほど時間はかからないだろう。しかし、山間部ならどうか。農漁村地帯では? 執刀医からはたびたび、ドクターヘリの有効性を説かれた。

  警察庁長官経験者としては3人目となる大使に就任したのは11年9月。赴任先はスイスだった。その直前、日本でドクターヘりの普及を目指すNPO法人の設立が決まり、その必要性を提唱してきた執刀医らは、警察行政に長く携わってきた国松のノウハウを頼って理事長への就任を要請した。

「スイス大使をやりながら日本のNPQ法人の理事長もできず、帰国してからということで、そのときはお断りした」

 赴任先のスイスは「たまたまヘリコプター救急に関して世界最高水準の仕組みを持っている国だった」。スイス航空救助隊(REGA)が、全国13ヵ所の拠点でドクターヘリを運航、医師が24時間待機し、15分以内に現場に到着できる態勢が確立されていた。

 そんなドクターヘリ先進国の実態をつふさに見てきた国松は帰国後の15年4月、「命を助けてくれた先生への個人的な恩返しのつもり」で約束通り理事長に就任した。

 現在、日本のドクターヘりは9道県で10機。1機の配備に年間2億円がかかる。目標とする全国50機の配備には年間100億円が必要だ。「国民1人あたり年間80円でドクターヘリ全国を飛ぶ。運航費用を税金でまかなえないなら、医療保険などの適用を提言している。ただ、救急車より速いと主張するだけでは説得力がない。そこで、ドクターヘリの有効性を数値化し、国民の目に見える形で広報をしていきたい」。山積する課題が国松を奮い立たせる。

「お前は幸せなやつだ。助からない命を助けてもらった上に、生きがいまでもらって」。ドクターヘリの普及活動を始めたころ、大学時代の友人にそう指摘された。「撃たれて幸せも何もないものだと思ったが、よく考えてみるとその通りだと今は思っている」

 ライフワークとなったドクターヘリの普及活動の合間を縫い、きょう28日から2週間の日程で渡欧する。30年前、日本大使館で一等書記官として勤務していたフランスを訪ねるが、その前にネス湖で知られるスコットランドヘも足を延ばす。絵の心得がある妻の浩子は、風光明媚なスコットランドの景色を描くのを楽しみにしているという。

 狙撃事件で入院し、病院から登庁するまでの77日問、浩子は一度も自宅に帰らず、病院に泊まり込んで身の回りの世話をしてくれた。そんな妻への「女房孝行」が今回の渡欧の目的だが、国松は照れ隠しにこう釈明した。

「ネス湖の怪獣に会いに行くんですよ」=敬称略

(大塚創造、『産経新聞』2006年5月28日付)