HEM-Netは2005年3月25日、ヘリコプター救急に関するシンポジウムを開催すると共に、それまで1年間をかけて取りまとめた総合報告書「わが国ヘリコプター救急の進展に向けて」(A4版80頁)を公表しました。その内容は、ヘリコプター救急の現状と課題を分析し、それを踏まえて所要の提言を行ったものです。
その要旨と提言は、別途本頁に掲載してありますが、ここに報告書全文を掲載いたします。この中の統計数値などは、補足説明のない限り、いずれも上記3月25日現在のものです。
全体の内容は下記目次の通りです。
目次
- わが国救急体制の後進性
- ヘリコプターの安全性とコスト
- 世界有数のヘリコプター保有数
- 体制再構築も時間との闘い
- 受益者負担のアメリカ
- ドイツの体系的な救急体制
- スイス特有のパトロン制度
- 独立救急機関SAMU
- 自助努力の英国
- 日本は停滞的
- 5種類のヘリコプター救急
- 消防・防災ヘリコプター
- ドクターヘリコプター
- 試行的事業の結果
- 本格事業7ヵ所の成果
- 交通事故におけるドクターヘリの効果
- 本格的救急ヘリ・システム確立の必要性
- ドクターヘリ方式の普及を阻む事情
- 消防・防災ヘリ活用方式の問題点
- 救急車と「救急ヘリ」の組み合わせ運用
- ドクターヘリと消防・防災ヘリの組み合わせ運用
- 「救急ヘリ」の必要数
- 「都道府県救急ヘリ配備検討委員会」(仮称)の設置
- 考え方の基本
- 「救急ヘリ」の経済効果
- 費用負担のあり方
- 『「救急ヘリ」運航費用管理機構』(仮称)の設置
- 医師不足とパラメディックの養成
- メディカル・コントロール体制
- アメリカにおけるMC体制の現状
- わが国MC体制構築の現状と課題
- MC体制構築のプロセス
- 救急業務高度化のための訓練計画
- 運航の制約の問題
- 安全運航の確保
- 高速道路への着陸問題
- 国民的コンセンサスの醸成
- 救急医の意識改革と協力病院ネットワークの構築
- 大災害発生時のヘリ活用
- 「救急ヘリ整備緊急措置法」(仮称)の制定
調査・分析・執筆
國松 孝次(理事長、元警察庁長官)
小濱 啓次(副理事長、川崎医科大学名誉教授)
篠田 伸夫(理事、全国町村議会議長会事務総長 元自治省消防庁次長)
西 川 渉(理事、元㈱地域航空総合研究所代表取締役所長)
原 英 義(朝日航洋株式会社航空事業本部 営業統括部部長)
邉 見 弘(理事、国立病院東京災害医療センター院長)
益子 邦洋(理事、日本医科大学付属千葉北総病院救命救急センター長)
山越 芳男(理事、全国危険物安全協会理事長、日本消防設備安全センター会長、元自治省消防庁次長
序章 「救命力」の向上をめざして
1 わが国救急体制の後進性
救急は時間との闘いである。心臓停止の急病人は3分で半数が死亡し、呼吸停止は10分で半数が亡くなる。交通事故などで大量に出血した場合は、30分で半数死亡という結果がもたらされる。このような人の生死を分ける緊急事態に対処すべき救急体制は、わが国の場合、世界の先進事例に比して、いちじるしく遅れているといわざるを得ない。
具体的には、「ドイツに遅れること30年、アメリカに遅れること20年、イギリスに遅れること10年」という状態に陥っている。
もとより、個々の病院は立派な設備を保有する。医師の技能も世界最高水準にひけを取らない。救急車も119番通報があれば直ちに出場する態勢ができている。しかし、それでも世界的に遅れているというのは、救急車を補完し、救命速度を上げることのできる救急ヘリコプターのシステムが欠けているからである。
ヘリコプターの活用により、救命率を一挙に引き上げることができることは、朝鮮戦争(1950~53年)やベトナム戦争(1960~75年)を通じて明らかとなり、欧米の先進的な国々では、大量のヘリコプターを次々と救急活動に投入し、すぐれた救命効果を上げるようになった。
日本でも、数年前にはじまったドクターヘリのわずかな実積を見るだけで、救命効果が一挙に高まることが明らかになった。救急ヘリコプターを使えば、多くの急病人や自動車事故の被害者が死を免れ、重い後遺症に悩むことなく立派に社会復帰できることが実証されたのである
たとえば、2003年、日本の民間ヘリコプターの事故は1件だけであった。地上で離陸準備中に異常振動を発して横転したものだが、死者は出ていない。一方、この年、旅客機は10件の事故または事故に準ずる異常事態を起こしている。3件は滑走路のオーバーラン、2件はエンジンの異常による緊急着陸であった。
他方、ヘリコプターの運航コストは、現在救急専用機として使われている機種の場合、救急装備をしたときの購入価格は5億円前後と推定される。その償却費を含めた運航費は救急機としての利用を考えると年間2億円程度になろう。この金額をどのように評価するか。
救急ヘリコプタ-を全国都道府県に1機ずつ配備するとして、総数50機ならば年間の総経費は100億円になる。これは、日本の人口に照らすならば、1人当たり年間約80円の負担にしかならない。また、わが国の医療費に照らせば、その総額およそ30兆円の3千分の1、すなわち1パーセントの30分の1に当たる額にすぎない。
これは決して、われわれの負担できないような大きな数字ではない。この程度の経費で何千、何万もの人命が救われるならば、それを実行に移さない方がおかしいというべきであろう。
あとは水田の農薬散布、山の中の建設工事、送電線パトロール、テレビの報道取材。さらには警察や消防も多数のヘリコプターを使っている。こうした活発な利用ぶりはわが国の地勢がヘリコプターの活動を必要としているからにほかならない。そのため民間ヘリコプター数は世界有数の保有国だが、それにしては救急利用がいかにも少ない。
これをどのように増やし、普及させてゆくか。現在ドクターヘリの経費は国と自治体(県)が半分ずつ負担している。しかし、財政逼迫の自治体から見れば、新たな予算をつけるのが困難な状況にある。そのため旧厚生省がドクターヘリ発足当時の普及目標としていた「5年間で30機」にはとうてい届かない状況にある。
諸外国の先進事例では、ヘリコプター運航費のすべてを国の経費でまかなっている国はフランスしかない。ドイツは医療保険、スイスは一般国民からの寄付と医療保険、アメリカは医療保険と患者個人の直接負担などとなっている。
無論、それぞれに医療制度や保健制度が異なるので、一概に善し悪しを決めることはできない。 しかし、将来に向かっては医療保険を初めとし、労災保険、自動車賠償責任保険、旅行傷害保険などの保険を適用し、経費の一部または全部をまかなうことも検討されてよい。ほかにも、さまざまな方法が考えられるが、いずれを取るにしてもわが国として最良かつ最適の方法を探り、早急に実行に移す必要がある。
救急医療が時間との闘いである如く、救急体制の再構築もまた時間との闘いである。
このヘリコプター救急を最初に体系化したのは「救急搬送にヘリコプターを導入した先駆者」と呼ばれるアール・アダムス・カウリー博士(1917~1991年)である。博士は、救急医療における時間との闘いを「ゴールデン・アワー」という一と言に集約し、「何千もの人命を救い、世界の救急医療のあり方を変えた」といわれる救急外科の専門医であった。
1970年代初め、米国では農村地帯で発生する交通事故の死亡率が、都市部にくらべて3.5倍も高かった。農村は救急搬送体制が不充分で、設備のととのった医療機関も少ないためである。救急患者は、病院へ運びこまれるまでの時間がかかり、それを受ける病院の方も充分な対応能力がなく、無駄に命をなくすことが少なくなかった。
「こうした事態を改善するには、全国各地の救急体制と医療機関の充実が必要だが、それには時間と費用がかかる。しかしヘリコプターを利用すれば、救急体制が不充分な農村地帯でも、患者の容態に合った病院へ迅速に搬送することができる。したがって、莫大な費用のかかる医療機関をつくったり、多数の専門医師を集めたりしなくとも、救命率の向上が可能」とカウリー博士は考えた。
そこで、博士はメリーランド州政府を説得し、州警察のヘリコプターに救急業務を担当してもらうこととした。一方で自分の所属するメリーランド州立大学附属病院にヘリポートを設置、警察機が搬送してくる救急患者を受け入れる体制をととのえた。
この「エアメデバック・システム」が発足したのは1969年4月。救急優先の基本理念のもとに業務を展開した結果、救急搬送が迅速化し、農山村の救急患者に対しても高度の治療が可能となり、救命効果は一挙に増大した。
その救護の実積は最初の1年間で197人。72年12月までの2年半で1,000人を超えた。近年では拠点数がメリーランド州内8ヵ所に増え、毎年5千人以上の患者を救護し、2003年4月には発足以来の搬送患者数が累計10万人に達した。
その最初は1972年10月、コロラド州デンバーの聖アンソニー病院で始まった。以来30年余を経て、米エア・メッソド社の集計によれば、2003年3月現在、病院運営のプログラムが約210、病院以外の救急企業によるプログラムが約85、公的機関のプログラムが5となっている。合わせて約300プログラムである。
これらのシステムによって飛んでいる救急ヘリコプター数は、現在およそ450機。いずれも1日24時間、昼夜の別なく救急要請に応ずる体制を取り、米国本土の9割以上の地域をカバーし、年間およそ25万人の患者を救護している。
高速自動車道アウトバーンでは1960年代末期、毎年2万を超える人命が事故で失なわれていた。これを少しでも減らしたいということから始まったのが、ドイツ自動車連盟ADACによるヘリコプター救急である。最初のヘリコプターがミュンヘンのハラヒン病院で待機に入ったのは1970年11月のことであった。
その業務形態は、拠点病院から半径50km、飛行距離にして15分相当の地域を担当し、ヘリコプターは原則として、出動要請から2分以内に医師とパラメディックをのせて離陸する。患者は15分以内、平均8分で医師と出逢い、その場で救急治療を受ける。また、ヘリコプターの運航経費は医療保険で支払われる。
これが所謂「ミュンヘン・モデル」で、1981年までの10年間に31ヵ所で実現し、85年には35ヵ所に増え、交通事故死は1万人余まで減った。つまり、15年間で半減したのである。そして東ドイツとの統一が成立した1990年には38ヵ所でヘリコプターが動いていた。この時点で、旧西ドイツ地域の交通事故死亡者は7,503人となり、1970年の21,332人に対して20年間で3分の1近くまで減った。無論ヘリコプターだけの成果とはいえないが、ヘリコプターも大きく貢献していることは間違いない。
ちなみに日本でも、1970年が交通事故死のピークであった。このときの死者は16,765人だが、それが半減したのは2002年の8,326人になったときである。30年余りで半減したわけで、ドイツの2倍以上の期間を要したことになる。
実は、ヘリコプター救急そのものが保険会社の発想だったからである。前項ミュンヘン・モデルを始めたADACも、関連事業のひとつに旅行傷害保険を扱っていた。ところが、アウトバーンの事故による保険金の支払いがかさんで、これを抑えたいというのが事の始まりだった。もとより経済的な目的ばかりでなく、人命救護という人道的な考えもあったことは間違いない。
いずれにせよ、保険会社は、今も深くヘリコプター救急に関与している。交通事故の多発地域にヘリコプターの救急拠点を設置するといった提言もおこなう。最終的な決定権は州政府のものだが、逆に州政府が保険事業組合に諮問するなどして、拠点整備を決めている。
そのうえで、救急法には、ヘリコプターの費用も保険金から支払われることが定められるに至った。いわば「ヘリコプターは保険会社の保険」なのである。
制限時間の内容と表現は州によってやや異なる。たとえば「できれば10分以内、最大15分以内――実施目標95%」「原則として15分を超えてはならない」「原則12分、最大15分」「原則10分――目標95%」「原則14分、へき地17分――目標95%」といった条文が見られる。
こうした規則の中から制限時間の数字だけを抽出すると表1-1のようになる。
ドイツの救急許容時間 |
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このように数字で定めているのは16州のうち14州である。残り2州は数字の規定はないものの、ウェストファーレン州は「到着時間に関しては、監督官庁の指示による」とし、ベルリンは「現在の救急体制の中で最速の手段を使う」としている。
いずれにせよ15分前後を目安として、それ以内に医師が患者のもとへ駆けつけなければならない。そのための移動は、徒歩でもバイクでも救急車でも、手段は問わない。しかし、地上手段では間に合わないようなときはヘリコプターを使う。ということは、ヘリコプターも必然的に不可欠の手段とならざるを得ない。このような制度が、先に述べた費用負担制度の確立と相まって、ドイツの救急ヘリコプターを普及させる原動力となっている。
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ADAC |
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ドイツエアレスキュー(DRF) |
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内務省防災局 |
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国防軍 |
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その他民間ヘリコプター会社 |
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総 計 |
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この表で、もうひとつ注目すべきは、さまざまな機関がヘリコプターの運航に当たっていることであろう。このうちADACは、自動車クラブの傘下にある航空救助会社で、ヘリコプター救急に関しては最も長い経験を持つ。
その先進事例を追って近年急速に拡大してきたのがNPO法人のDRF(ドイツ・エアレスキュー)である。3年間で拠点数が2.2倍となってADACを追い越し、出動件数も1.6倍となった。
内務省防災局は、日本の総務省消防庁に相当するといえようか。拠点数も出動件数も3年間ほとんど変わっていない。ただし今後、今の16か所を12か所に減らしてゆく方針という。国防軍(国境警備隊)は3か所を担当するが、かつてはもっと多かった。したがって、これも減少傾向にある。
こうした国の機関に代わって伸びてきたのが民間ヘリコプター会社である。3年前の拠点1ヵ所が今では7か所に増え、夜間飛行などの新しい試みをしながら今後も増えてゆくであろう。
REGAの運営費は国民の寄付が基本である。スイスの人口720万人余のうち170万人以上(約23%)が1人30スイス・フラン(約2,700円)を献金している。これらの人はREGAの「パトロン」と呼ばれ、急病、事故、遭難など身体的な危機におちいったときは、世界中どこにいても電話1本で医師が飛んでくる。それに要する費用は、パトロンに対しては請求されない。要するにパトロン制度は、年額30スイス・フランを保険料とする一種の事故保険の制度なのである。
REGAはヘリコプターに加えて、長航続性能を持つアンビュランス・ジェット3機を保有し、世界のどこでパトロンが病気になっても直ちに迎えにゆく仕組みになっている。時折り日本の空港へも飛来している姿を見かけることがある。
REGAの経費は、上記パトロンの寄付に加えて、医療保険も適用される。全経費の中に占めるパトロン寄付と保険収入の割合はおおむね半々である。患者への経費請求手順は、まず医療保険の請求となる。しかし患者が保険に加入していなくても、パトロンならば請求されない。パトロンでなければ患者個人に請求がゆく。しかし患者がその金額を払えないときは、回収不能として帳消しになる。
まことにスイスらしい、合理的かつ人道的な独自のシステムといえよう。
日本の119番に相当する救急電話「15番」の受付けから救急車の手配、医師の往診、患者の搬送、入院の手配などを全国100ヵ所以上の病院を拠点としておこなう。その業務の一環としてヘリコプターや飛行機を民間運航会社からチャーターし、常に手もとに待機させ、必要に応じて救急車やドクターカーと共に出動させる。
各地の病院に拠点を置くSAMUは、救急専門医が責任者である。したがって緊急事態発生の初めから医師がかかわり、その責任で指令を出す。救急現場では、警察も消防も医師の指揮下で行動するように定められている。
現状は、しかし、全国100ヵ所余りのSAMUが全てヘリコプターを保有するわけではない。およそ30機の救急ヘリコプターを、いくつかの隣接するSAMUが共用する例が多い。
ヘリコプターの運航費は国の予算でまかなわれている。
ヘリコプター体制のほとんどは地域住民の自助努力によって運営され、寄付、ガレージセール、富くじなどで集めた資金によってヘリコプターをチャーターしている。しかし、医師の同乗を依頼するだけの余裕がないため、パラメディックが乗りこんで患者の救護をしている。
ヘリコプター救急のこうした苦しい財務内容を見かねて、英国自動車連盟(AA)は1997年から3年ほどの間に1,400万ポンド(約28億円)の資金援助をおこなった。これで7機のヘリコプターが導入され、全国11ヵ所しかなかったヘリコプター救急拠点が5割増しになった。
こうした中で、ロンドンのヘリコプター救急だけは極めて理想的、模範的な体制で業務を進めている。始まったのは1989年。「デイリー・エクスプレス」新聞社の寄付によってAS365N双発ヘリコプターをシティの中心に近いロイヤル・ロンドン・ホスピタル屋上に待機させ、ロンドン市内はもとより周辺を含む半径50~70kmの地域で救急活動をしている。
1998年からは老朽化したAS365Nの代わりに、MD900エクスプローラーが飛び始めた。その費用はヴァージン・グループのリチャード・ブランソン会長が寄付の形で負担している。待機と出動は昼間のみ。パイロットは2人乗り。それに医師とパラメディックが乗り組み、ロンドン・アンビュランス・サービスからの指示によって飛び立つ。
驚くべきは大都市ロンドンの至るところ――トラファルガー広場でもピカデリーサーカスでも、主ローターの2倍の広さがあればどこにでも着陸し、患者のすぐそばに医師を連れて行く。発足して最初の6年間に4,807回の出動をしたが、患者のそばに着陸できなかったのは14回だけ。しかも着陸地点の4割は患者から50m以内、7割強が200m以内であった。現在も年間1,000回以上の出動をして、すぐれた救急実績を挙げている。
大都会の中で頻繁に着陸を繰り返しながら、この15年間に事故は一度も起こしていない。それというのも交通規制や野次馬の整理など、いち早く現場に駆けつけた警察官による積極的な協力に負うところが大きい。(つづく)
1999年から1年半の試行段階を経て始まったドクターヘリは、合わせて5年が経過したが、今なお8ヵ所の運航にとどまっている。2001年4月の正式発足に際して、旧厚生省は「5年間で30機」の配備目標を掲げたが、現状は遠く及ばない。
なお諸外国の配備数を、日本の国土面積に当てはめると、たとえばスイスの配備密度は120機に相当し、ドイツは82機、フランスは21機に当る。アメリカは絶対数では世界で最も多く、約450機の救急ヘリコプターが飛んでいるが、国土面積が広いために密度では日本の22機に相当する。
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特 色 | 商業的 | 体系的 | 国民的 | 官制的 | 停滞的 |
開始時期 | 1972年 | 1970年 | 1973年 | 1983年 | 2001年 |
運航主体 | 病院、警察 | ADAC、軍、防災局、DRF(NPO) | REGA | SAMU | 拠点病院 |
医療搭乗者 | FN×2FN+PM | 医師+PM | 医師+PM | 医師+PM | 医師+看護師 |
拠点数 | 450ヵ所 | 78ヵ所 | 13ヵ所 | 約30ヵ所 | 8ヵ所 |
飛行範囲 | 半径150~200km | 半径50km | 15分以内の時間距離 | 県単位(105県) | 県単位 |
飛行条件 | 昼夜間、 計器飛行 | 昼間 | 昼夜間 | 昼間 | 昼間 |
国土面積 | 7,843 | 357 | 41 | 544 | 378 |
運航費負担 | 医療保険 | 医療保険 | パトロン+寄付+医療保険+患者 | 国 | 国+自治体 |
[注1]FN=フライトナース、PM=パラメディック
[注2]国土面積の単位は千平方キロ。アメリカの面積はアラスカ州を含まない。
[注3]実際の運航は世界のほとんどの国で民間ヘリコプター会社をチャーターしている例が多い。
[後記]本頁作成の時点で、日本のドクターヘリは10ヵ所。
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消防・防災ヘリコプター | 東京都および市町村(消防ヘリコプター)道府県(防災ヘリコプター) |
ドクターヘリコプター | 救命救急センター(現在のところ民間病院および県立病院) |
自衛隊ヘリコプター | 国(自衛隊) |
都道府県警察ヘリコプター | 都道府県(警察) |
海上保安庁ヘリコプター | 国(海上保安庁) |
なお、上記のヘリコプターの運航費用は公費でまかなわれるが、全国で唯一、民間の病院が自己の資金で救急ヘリコプターの実質的運航主体となっているものに北海道の手稲渓仁会病院(札幌市手稲区在)がある。同院は救急部を中心として「北海道ドクターヘリ運航調整研究会」を組織し、周辺の5町村、14消防機関と協定を結び、2002年8月から民間航空会社と委託契約した救急ヘリコプターを運航している。
活動内容は、出動要請後おおむね3分で医師が同乗して離陸、現場で早期治療に当たるなど、ドクターヘリと同等の業務を行い、2004年11月末までに307件の出動実績をあげている。
しかし、その活動は、あくまでドクターヘリの本格的な導入をめざした試験的、暫定的なものとされているので、ここでは特記して紹介するに止める。(後記――この運航は2005年4月から正規のドクターヘリとなった)
(1)消防・防災ヘリコプター
消防・防災ヘリコプターは、単に救急だけでなく、広く消火、救助、災害時対応など多目的に活用され、救急については日常的な救急業務を守備範囲としている。
(2)ドクターヘリコプター
病院を拠点として日常的な救急医療に要請に応じて運用されている。
(3)自衛隊ヘリコプター
自衛隊のヘリコプターによる緊急輸送は、都道府県知事等の要請に基づく「災害派遣」が原則である(自衛隊法第83条)。災害派遣を実施するためには「事態やむを得ない」と認める必要があるが、その際は①公共性、②緊急性、③非代替性の三つの要件に該当する必要がある。
このうち公共性は、都道府県知事の要請があれば担保される。緊急性は差し迫った必要性のある場合をいう。非代替性とは自衛隊の部隊等が派遣されるほかに他に適当な手段がない場合であって、民業を圧迫しないための要件である。
このように、自衛隊のヘリコプターによる緊急輸送は災害に伴うものであって、決して日常的なものではない。ところが離島については、自衛隊によって実質上日常的にヘリコプターの緊急輸送が行われている。筋論からいえば問題なしとしない。その一つは、厳密に言えば「災害派遣」には該当しないのではないかという点であり、今ひとつの問題点は「救急業務」は、後述するように、制度的には市町村の責務であり、国の任務ではないという点である。
こうした問題点を抱えながら、自衛隊、すなわち国が実施しているのは、地理的不利益地域である離島に生きざるを得ない住民の生命・身体を守るという公共性に鑑み、国が「補完」の立場に立たざるを得ないためである。あくまでも「補完」であるところから、空輸に必要な医療機材の準備や救急車の手配は要請者側が担任し、医師も要請者側の医師が添乗することになる。ただし、ヘリコプター運航経費は、公共性に鑑み自衛隊が負担している。
平成15年度の実績を見ると、3自衛隊合わせて811件の災害派遣があったが、このうち急患空輸(固定翼も含む)は575件で、全体の71%を占めている。575件の地域別の内訳は表2-2の通りである。
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沖縄県 |
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うち199件が陸上自衛隊 |
鹿児島・長崎県 |
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うち215件が海上自衛隊 |
東京都 |
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すべて海上自衛隊。主に小笠原諸島への飛行 |
その他 |
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合 計 |
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繰り返しになるが、自衛隊のヘリコプター救急は日常的な救急とは基本的に異なる。しかし、今後、地域の実状に応じたヘリコプター救急の仕組みをつくる場合、ドクターヘリないし消防・防災ヘリコプターの救急活動を補完するものとして出動が要請されるときは、人命尊重の立場に立ち、公共性、緊急性、非代替性の要件を配慮しつつ、可能な限り要請に応じてゆくことが期待される。
(4)都道府県警察ヘリコプター
警察は、救急に関しては、あくまでも補助的な立場にあり、日常的に救急を扱う立場にはない。というのも「救急業務」は消防組織法第6条に基づき、あくまでも市町村の責任とされている「消防」業務の一つだからである。現実にも、警察のヘリコプターは主に山岳救助に使われている。
ここで付言しておくと、「救急」と「救助」は別物である。例えば、交通事故で車に閉じ込められた場合を想定すると、エンジンカッターで車体を切って傷病者を救い出すのが「救助(レスキュー)」であり、この救助された傷病者を医療機関に搬送するのが「救急(アンビュランス)」である。警察のヘリコプターが行っているのは山岳「救助」であって、山岳「救急」ではない。
このように、警察ヘリコプターは日常的な救急を任務としていない。しかし、全国の警察が保有するヘリコプターは80機に上り、日常的に飛行しているので、要請があれば救急患者を搬送することもある。平成14年の実績は、たとえば兵庫県で11件、新潟県で8件、その他を合わせると合計24件であった。
したがって、警察機も自衛隊機と同様、救急ヘリコプターを補完して、可能な限り救急患者搬送体制の一翼を担うことが期待されている。
(5)海上保安庁ヘリコプター
海上保安庁の担当する飛行範囲は、原則として海上に限られている。ただし、離島については、海上保安庁法第2条及び第5条第16号に基づき、都道府県知事等からの要請を受けて、最寄の医療機関所在地までの急患輸送をおこなう。
これは、しかし、あくまでも「関係行政庁との間における協力、共助及び連絡に関すること」として行うもので、日常的に急患輸送を任務としているわけではない。ただし、沖縄県は例外で、石垣航空基地所属のヘリコプターによる急患輸送が、昭和47年以来日常的に実施されている。
海上保安庁は、日本列島10ヵ所の基地に17名の救急救命士を配置している。内訳は特殊救難隊員6名、機動救難士6名、ヘリコプター搭載型巡視船降下員5名である。ほかにヘリコプター搭載型巡視船を10の管区に13隻配置している。救急事案が発生した場合、海上保安庁へ通報するため、専用の緊急電話「118」が制定されている。なお、ヘリコプター運航経費は、自衛隊と同様、海上保安庁の負担となっている。
離島からの急患輸送実績は、平成15年が149件(患者153人)、そのうち医師添乗の患者72件(患者74人)となっている。
このように、海上保安庁のヘリコプター救急は、例外はあるが、基本的には海上を守備範囲とするものである。
なお、海上における救急システムとしては、海上保安庁が直接対応するほかに、(社)日本水難救済会による「洋上救急」がある。「洋上救急」は、洋上の船舶上で傷病者が発生し医師による緊急の加療が必要な場合に、医師等を海上保安庁の巡視船や航空機によって現場に急送するとともに、患者を引き取り、医師の治療を加えつつ陸上の病院に搬送するシステムである。これは日本水難救済会が昭和60年10月1日から実施しているもので、世界で唯一日本だけのシステムである。
日本水難救済会の事業運営のための資金としては、社会保険庁から「事業委託金」が、日本財団・日本海事財団から「補助・助成金」が、大日本水産会・全国漁協連合会・日本船主協会・全日本海員組合から「拠出金」が、傷病者発生船舶船主から「負担金」が、それぞれ援助されている。「負担金」は、例えば標準編成(医師1名+看護士1名)での出動の場合、1日220,000円となっている。洋上救急の要請は、船長・船主等から、電話「118」番などで海上保安機関または洋上救急センターに対して行う。
以上、5種類の救急ヘリコプターを概観してきたが、われわれの研究対象としている「陸上における日常的な救急」を担当業務としているのは、結局、消防・防災ヘリコプターとドクターヘリコプターのみであることが分かる。以下、この2種類の救急ヘリコプターについて詳述する。
救急業務とは、「事故又は急病による傷病者のうち、緊急に搬送する必要があるものを、救急隊によって、医療機関に搬送すること」をいう。
「搬送」というと、単に運びさえすればいいと思いがちである。しかし、搬送途上で傷病者の病態が悪化してしまっては何にもならない。そうならないためには、搬送中も一定の手当てを行うことが必要となる。この要請に応えたのが、昭和61年の消防法の改正である。この改正によって搬送の意味が拡大され、「搬送(傷病者が医師の管理下に置かれるまでの間において、緊急やむを得ないものとして、応急の手当を行うことを含む。)」となり、従来は曖昧だった応急手当が正式に救急業務の中に取り入れられた。救急隊員がこの「応急の手当」(救命処置)を行うためには、一定の資格を有することが必要となる。救急隊員のうち国家資格を必要とするのが「救急救命士」である。救急救命士になるには、平成3年に制定された救急救命士法に基づき国家試験を受ける必要がある。資格を得た救急救命士は、医師のメディカルコントロールの下で一定範囲の医療行為(救急救命処置)を行うことができる。
次に、搬送手段は従来、法的には救急自動車に限定されていた。つまり、搬送の主体である救急隊は、政令によって、救急自動車と救急隊員が構成要素とされていた。それが、平成10年に至って政令が改正され、正式にヘリコプターも搬送手段に位置づけられた。こうして市町村の消防(東京消防庁を含む)が総務省消防庁の補助金を得て所有するヘリコプターを「消防ヘリコプター」と称しているわけである。
以上で分かるとおり、「救急業務」の担い手は救急隊であって、医師の搭乗が義務づけられているわけではない。したがって、消防ヘリコプターに医師が搭乗することは、消防法の上では想定されておらず、総務省消防庁の通知でも、救急救命士を搭乗させるよう指導しているに過ぎない。
とはいえ、理想的には医師を搭乗させるに如くはないところから、一歩でも理想に近づこうと、医師の搭乗体制を前提とした運用を単独で実施している消防本部がある。札幌市消防局、東京消防庁、大阪市消防局および北九州市消防局がそれである。ただし東京消防庁においてさえ、国立災害医療センター以外は、救急車で医師をヘリコプター基地まで運び搭乗させるというやり方をしているに過ぎない。病院から医師をピックアップして消防ヘリコプターに搭乗させ現場に直行し治療するという、ドクターヘリコプター的運用の全面的実施まで行きかねているようである。
平成16年4月1日現在、消防ヘリコプターは下図のとおり14団体(東京消防庁+13市)で27機保有されている。
しかし、果敢に、医師の搭乗体制を前提としたヘリコプター救急を行っている都道府県がある。北海道、岐阜県、鳥取県、広島県、兵庫県、山口県など11の道県である。ただ、その実態は、たとえば山口県や鳥取県では、医師を救急車でヘリコプター基地まで運びヘリコプターに搭乗させるといったやり方に過ぎない。
そんな中で防災ヘリコプターを2機保有する岐阜県では、平成16年6月に岐阜大学に高次救命治療センターが開設されたことに合わせ、同月から平成17年3月末まで同センターの医師をピックアップする形のドクターヘリ的運用を行っており、平成16年11月までに転院搬送31件、現場救急6件の実績を挙げている。
また、広島県と兵庫県は、後述するように、県の所有する防災ヘリコプターと政令市の所有する消防ヘリコプターとを一元的に管理し、独自のドクターヘリ的運用をしている(資料5参照)。
現在、防災ヘリコプターは上図のとおり、38道県で42機保有されている。消防ヘリコプターも防災ヘリコプターも全く配備されていない県は、佐賀県と沖縄県の2県のみである。
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平成7年 |
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8年 |
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9年 |
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10年 |
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11年 |
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12年 |
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13年 |
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14年 |
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15年 |
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16年 |
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[注1]「その他」とは災害における警戒、指揮支援、情報収集などの調査活動、ならびに資器材、人員輸送などであり、訓練は含まない。
[資料]平成16年版「消防白書」および総務省消防庁2005年資料
上の表に見るように、救急出動件数はこの数年来急速に増えてきた。しかし1機当りの平均出動件数はわずか30件にすぎず、未だ極めて微々たるものであることが分かる。
この中で平成12年に件数が増えた理由としては、同年2月総務省消防庁から「出動基準ガイドライン」(参考資料2)が示されたことが考えられる。
また全出動件数中に占める救急出動の割合は、備考欄に示す通り年々増加している。平成10年に急増した理由は、政令改正によりヘリコプターが正式に搬送手段に位置づけられたことが考えられる。したがって今後、消防関係者の意識が変わりさえすれば、救急出動件数は飛躍的に増える可能性があるものと思われる。というのは、救急車による「覚知から病院収容までの時間」を平成15年中の実績で見ると、下表のとおり、全搬送人員中38.5%もの搬送が30分以上を要しているためで、救急は「時間の勝負」であることを考えると、急病であって救急車による搬送が30分以上を要するような場合はヘリコプターを利用すべきである。
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120分以上 |
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60分以上120分未満 |
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30分以上60分未満 |
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20分以上30分未満 |
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10分以上20分未満 |
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10分未満 |
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[資料]平成16年版「消防白書」 医師の搭乗について、平成15年中の実績を見ると、総救急出動件数2,087件中1,104件(53%)となっている。しかし、1,104件のうち998件(90%)は転院搬送で、いわゆる「現場救急」といわれるものの実態はよく分からない。仮に急病の25件、交通事故の26件を現場救急とみなしても極めて少ない。
救急救命士の搭乗体制については、平成10年の政令改正の際の消防庁通知で、「飛行環境による傷病者への影響等」を考え、少なくとも1人は救急救命士であることが望ましいとしていたところであるが、平成16年4月1日現在でみると、14消防本部で11人、37県で10人の配備にとどまっている。これは、消防本部における救急救命士が未だ不足しており、養成途上にあることも影響しているものと思われる。
また、救急出動時の平均離陸時間は、同日現在の実績で5分以内が3消防本部のみ。大半は5~15分以内で、5~10分以内が23機関(うち、消防本部は8)、10~15分以内が17機関(うち消防本部は3)となっている。 2-4 消防・防災ヘリコプターの課題
消防・防災ヘリコプターの機数は、合計で68機(平成17年度は69機)となっており、消防・防災の目的からは、全国的に各都道府県1機体制がほぼ整っている。しかし、消防業務への観点からは、以下のような共通した課題を抱えている。
- 消防ヘリコプターであっても、救急だけに利用されるわけではなく、広く消火、救助等にも利用される。また、防災ヘリコプターにあっては一般行政目的にも利用されている。したがって中大型機が多く、離着陸の場所が小型のドクターヘリにくらべて限定的である。
- いずれのヘリコプターも、一部の消防機関の所有する消防ヘリコプターを除き、救急専用となっていない。
- 消防ヘリコプターを所有しているのは、岡山市を除き、政令市に限られている。財政的な限界があるため、大方の市町村にとっては、消防ヘリコプターを所有することは不可能である。その穴を埋めるのが、防災ヘリコプターである。しかし、防災ヘリコプターは都道府県の所有であるとともに多目的であるため、消防機関が専ら、あるいは優先的に救急のために利用することは、多くの県で困難に直面している。
- 出動要請手続が煩雑である。消防・防災ヘリコプターの任務が救急だけではないため、他の業務との関係を見ながら判断せざるを得ない。そのため基地現場の担当者だけでは決断できず、横の組織との調整をしながら上申し、指示を受けなければならない。そのため出動までの時間がかかる。
- ヘリコプター基地は病院内にはなく、別の場所のヘリポートに設置されているのが通例であり、医師をピックアップするには時間のロスを余儀なくされる。
- 大都市の消防関係者には、救急車で間に合っているという意識が根強く存在する。
- 119番通報を受信した指令がヘリコプター出動の是非を判断することは、今のところ、能力的に無理である。現場に出動した救急隊員からの要請があって初めて出動を指示しているが、なお現場において「空振り」を恐れる傾向が強い。
(1)広島県の例
広島県では、要請先を広島市消防局に一元化することにより、広島市の消防ヘリコプター1機と県の防災ヘリコプター1機を一元的に共同運用している。救急仕様での待機を基本とすることで、要請から離陸まで4分以内を達成しているという。また、県内どこからでも三次救急医療機関に1時間以内に搬送できるよう、ブロック拠点ヘリポートが整備されている。運航経費は県内全市町村が負担する方式を採っている。年間飛行時間は、予算の関係上300時間と定められている。平成14年度の出動目的別の実績をみると、救急出動は、消防ヘリコプターで年間飛行時間の22%、防災ヘリコプターで14%となっている。
(2)兵庫県の例
防災ヘリコプター1機と神戸市の消防ヘリコプター2機によって県内常時2機の救急体制を確立している。要請先は神戸市消防局に一元化されている。神戸市の職員は県との併任発令、神戸市以外の市町からの派遣職員は県および神戸市との併任発令を受けている。運航経費は、隊員の人件費を除き、原則として兵庫県と神戸市が折半している。
ヘリコプターはポートアイランドにある神戸へリポートに待機し、県立災害医療センター、神戸市中央市民病院および神戸大学の医師および看護師をピックアップして現場に出動する。ピックアップに要する時間は7分程度。また、災害医療センターの屋上ヘリポートもバックアップ用として使用される。運航時間は午前9時から午後5時まで。年間飛行時間は、実際の搬送件数は増加していないものの、これまでの300時間から375時間に延長された。
わが国でも1960年頃から自衛隊の小型ヘリコプターに医師が同乗して出動し、重症患者の搬送や登山事故、海難事故などの救助救急にあたった例が見られる。川崎医科大学の小濱啓次名誉教授(「わが国におけるドクターヘリの歴史」、日本航空医療学会雑誌、2000年11月)によると、1959年から66年までの7年間に東京、霞ヶ浦、館山、入間などの基地に所属する自衛隊ヘリコプターの出動は合わせて89件に上る。出動内容は重症患者搬送23件、交通事故16件、作業事故7件、登山事故8件、海難事故8件、航空事故6件、その他21件である。
また東京消防庁も1967年にヘリコプターを導入、73年までの6年間に医師同乗の搬送を190件実施している。ただし、これらの搭乗医は添乗のみで、救急現場に降りて処置、治療をおこなう、いわゆるドクターヘリとしての搭乗ではなかった。
1980年頃からは、わが国にもドイツのヘリコプター救急体制が知られるようになる。そこで1981年、川崎医科大学でドイツ方式を模した研究実験がおこなわれ、35km遠方の地点で交通事故のために運転者が車内に閉じこめられたことを想定し、実際にヘリコプターを飛ばして救急車との差異を比較した。その結果、車内の負傷者を救出し、救急処置をするまでに、救急車では1時間余を要したのに対し、ヘリコプターを使えば22分20秒という結果が出た。
つまりヘリコプターは初期治療開始までの時間を3分の1に短縮したのである。これは当時のドイツで一般的にいわれていたこと――ヘリコプターは救急車より3倍早く治療開始を可能にするという原則にぴたり一致するものであった。
その状況を見た政府は1999年7月、内閣官房内閣内政審議室を事務局として「ドクターヘリ調査検討委員会」を設置、1年間にわたってドクターヘリの必要性に関する調査検討を行った。平行して厚生省は、同年10月1日から「ドクターヘリ試行的事業」を開始した。川崎医科大学と東海大学の救命救急センターに救急装備をしたヘリコプターを配備して1年半の実用実験をしたのである。
実験の結果は次章に述べるとおりだが、これを見ながら検討委員会の審議も進み、2000年6月わが国にもドクターヘリが必要という最終結論となった。
それによると「ドクターヘリ」とは「救急医療用の医療機器等を装備したヘリコプターであって、救急医療の専門医及び看護師等が同乗して救急現場等に向かい、現場等から医療機関に搬送するまでの間、患者に救命医療を行うことのできる専用のヘリコプターのことをいう」となっている。
要綱の詳細は巻末参考資料5のとおりだが、事業の目的は救急患者の救命率の向上、広域搬送体制の改善、ドクターヘリの全国的導入の促進など。
補助対象は、都道府県の医療計画等にもとづき、厚生労働大臣が適当と認めた救命救急センター。具体的には厚生労働省と都道府県が同額ずつ折半する形で、公費によってまかなう。
運営方針は、各実施団体ごとに「運航調整委員会」を設置し、都道府県、市町村、地域医師会、消防、警察、運輸、教育委員会などの所属者、ドクターヘリ運航会社および有識者を委員とし、関係機関の間のさまざまな問題について調整をおこなう。
事業は民間運航会社との委託契約により、救急医療専用ヘリコプター、操縦士、整備士及び運航管理者等を配備する。出動に際しては必ず医師が搭乗し、必要に応じて看護師を同乗させる。
出動は消防官署または医療機関からの要請にもとづき、医師および操縦士の判断によって行う。出勤範囲は県内全域だが、必要に応じて隣県にも及ぶ。
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川崎医科大学附属病院 | 岡山県倉敷市 | 2001年4月1日 | BK117 |
聖隷三方原病院救命救急センター | 静岡県浜松市 | 2001年10月1日 | EC135 |
日本医科大学千葉北総病院 | 千葉県印旛郡 | 2001年10月1日 | MD900 |
愛知医科大学附属病院 | 愛知県長久手町 | 2002年1月1日 | EC135 |
久留米大学高度救急救命センター | 福岡県久留米市 | 2002年2月1日 | BK117 |
東海大学医学部高度救急救命センター | 神奈川県伊勢原市 | 2002年7月1日 | MD900 |
和歌山県立医科大学付属病院 | 和歌山県和歌山市 | 2003年1月1日 | EC135 |
順天堂大学伊豆長岡病院 | 静岡県伊豆長岡町 | 2004年3月1日 | MD900 |
手稲渓仁会病院 | 北海道札幌市 | 2005年4月1日 | EC135 |
佐久総合病院 | 長野県佐久市 | 2005年7月1日 | EC135 |
[注]2005年7月現在 しかし、運航を開始した各救命救急センターでは、このシステムの運用に関係者が慣れるにつれて出動回数が増え、2004年度の出動実績は下表2-6の通りとなった。すなわち8ヵ所で3,367件――1ヵ所平均421件である。
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千葉県 |
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神奈川県 |
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静岡県東部 |
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静岡県西部 |
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愛知県 |
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和歌山県 |
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岡山県 |
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福岡県 |
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合 計 |
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[資料]益子邦洋ほか「ドクターヘリの実態と評価に関する研究」(平成16年度厚生労働科学研究、2005年3月)
出動件数は2005年度に入ってさらに増加する傾向を見せており、最近では月間60件になるところも出てきた。
こうした出動回数の増加と共に、ヘリコプター離陸までの時間も短縮されるようになった。経験を積んだ拠点では、出動要請から医師や看護師がヘリコプターに乗りこんで離陸するまで2分を切る例も多い。このことによって、現地での治療着手までの時間が早くなり、救命効果が上がるのは当然である。
次表は平成14年の実績だが、消防本部が119番の救急通報を受けてからドクターヘリが現場に到着し、治療に着手するまでの平均時間である。これを救急車で搬送した場合に比較すると、ほぼ半分に短縮されたことが分かる。
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119番通報 |
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ドクターヘリ出動要請 |
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ドクターヘリ現場到着 |
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救急車搬送の場合の病院到着(推定) |
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[資料]益子邦洋ほか「ドクターヘリの実態と評価に関する研究」(平成15年度厚生労働科学研究、2004年3月) なお、上の表では、119番の電話通報からドクターヘリへの出動要請が出るまでに12分を要しているが、これは先ず救急車が現場へ行き、救急隊員が患者の容態を見てヘリコプター出動の是非を判断する事例が多いためである。今後119番を受ける消防本部の経験が増し、電話通報だけでヘリコプターの出動を判断できるようになれば、所要時間はドイツの例に見られるように救急車の3分の1程度にまで短縮されるであろう。
また、この時間経過にカーラーの曲線を当てはめて死亡率を推定すると、次図に見るとおり、ほぼ3分の1に下がることが分かる。
しかし、基本的には救急医療スタッフにとって使い勝手の良さを考え、その地域で考えられる出動距離、救急現場の広さや混雑状況などを想定して選定されることが多い。むろん如何なる場合も、航空機としての安全性および経済性を無視することはできない。
わが国では現在、BK117、EC135、MD902が使われている。いずれもエンジン2基をそなえる双発タービン機で、標準座席数はパイロットを含めて8席前後、スキッド式の降着装置を持ち、キャビン後部の開口部からストレッチャーの積みおろしが可能といった共通点がある。また、いずれもパイロット単独の計器飛行が認められている。
逆に、外観上は尾部ローターの形状がそれぞれ異なる。BK117は通常の形をしているが取りつけ位置が高く、EC135は垂直尾翼の中に収めたダクテッドファン、MD902はローターのないノーター機構をもつ。いずれも尾部ローターによって地面や立木を叩いたり、地上員に触れたりするなどの危険性をなくす工夫にほかならない。
緊急度1 | 緊急に処置・治療をしなければ生命に危険を生じる場合(例:重症呼吸不全、重症循環不全、不整脈、ショック、重症熱傷、急性中毒、多臓器不全) |
緊急度2 | 生命に直接危険はないが、緊急に処置・治療をしなければ身体に障害を生じる場合(例:四肢切断) |
緊急度3 | 生命・身体のための緊急の処置・治療は必要としないが、高度の医療を必要とする場合、また、車での長距離搬送か危険と考えられる場合(例:腎不全の透析、慢性呼吸不全の呼吸管理、機能障害を有する脳血管障害等) |
[資料]小濱啓次「ドクターヘリ」(へるす出版、2003年12月) ドクターヘリは、上表のような条件にもとづき、以下の場合に出動する。
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以上のような条件および基準の下にドクターヘリが出動した場合、結果としてその必要がなかったと判断された場合でも、緊急時に患者の状態を医学的に正確に把握することは困難なことから、出動要請をした者の責任は問わない。国際的に見ても、15~20%の空出動は当然のことと理解されている。また、一般市民からの直接の要請は受けていないことになっている。
こうしたことからドクターヘリに従事する者は、仕事そのものを理解し身につけるための基本的な教育訓練を受ける必要がある。第2に関係者相互の理解を深めるための研修も必要である。さらに最も重要なことは航空の安全を確保するための訓練である。
こうした三つの目的を達成するための教育訓練体制は、わが国では未だ完全ではない。今後早急に整備してゆく必要があるが、当面の措置としてドクターヘリ業務を理解し、かつ異業種間の理解を深めるために、日本航空医療学会により2001年度から年2回ずつ「ドクターヘリ講習会」がおこなわれている。
対象はドクターヘリ業務に従事する医療従事者(医師、看護師、医療技師ほか)、運航従事者(パイロット、整備士、運航管理者、無線通信士など)、消防関係者(救急救命士、救急隊員ほか)などだが、ほかにも警察、海上保安庁、自衛隊などからも多くの受講者が参加している。2日間の講義内容は、次表の通りである。
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この講習会では毎回2~3機の救急装備をしたドクターヘリの実機を使い、機体の構造、救急装備の内容、患者をのせたストレッチャーの積みおろし、安全上の操作手順、緊急時の患者への対応や避難の仕方などを学習する。また受講生みずからも体験搭乗をする。
講習会は2004年11月の第9回までに受講者総数800名近くを数えるに至り、厚生労働省の後援、日本損害保険協会や(社)全日本航空事業連合会ヘリコプター部会ドクターヘリ分科会の協賛を受けている。
最大の課題は、ごく一部の地域でしか実施されていないことで、如何にして広範な普及をはかるかという問題である。実は本書の調査分析と提言は、この基本課題の達成方策を見いだすことにほかならない。
その基本課題達成のための具体策として、当面、次のような問題を解決する必要があると考えられる。
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- 国民理解の問題
- 費用負担の問題
- 路上着陸の問題
- 安全確保の問題
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さらに細部の問題を医療上と運航上に分けると、次表のような点に注目する必要があろう。
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医療上の問題点 |
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運航上の問題点 |
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[資料]小濱啓次『ドクターヘリ』(へるす出版、2003年12月) こうした課題の詳細については第4章以下で取り上げる。
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東海大学 | 実績 |
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推定 |
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川崎医科大学 | 実績 |
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推定 |
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合 計 | 実績 |
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推定 |
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[資料]ドクターヘリ調査検討委員会報告書(内閣内政審議室、2000年6月)
この表によると、2つの大学病院がそれぞれのドクターヘリで半年間に救護した患者数は合わせて183人であった。そのうち死者は26人だが、ヘリコプターがなく、救急車で搬送された場合の死者は48人になると推定される。すなわち、犠牲者の人数はヘリコプターによってほぼ半分にまで減少したのである。
同じように障害の残った人は22人だが、ヘリコプターを使用しなければ49人に障害が残ったと見られる。半分以下である。逆に軽快して社会復帰を果たした人は83人であった。ヘリコプターがなければ34人しか復帰できなかったはずで、2.4倍に上る。
これらの数値は当然のことながら、ドクターヘリにより早期に医師の救命治療を受け、すみやかに病院に搬送された患者について、仮にその患者がヘリコプターでなく救急車等で搬送されていたら生じたであろう結果の推定値と実値を比較するものであるから、そもそもドクターヘリにより搬送されていない患者については何ら言及するものではない。しかし、ヘリコプターが使用できる場合、ドクターヘリが如何に大きな救命効果を発揮できるか、わずか半年間のうちに、きわめて明確に示した試行結果であった。
1-2 1年半の救命効果 ドクターヘリの試行的事業は、さらに平成13年3月まで1年半にわたって続いた。その結果を前項と同じように集計すると、下の表3-2のようになる。この場合もほぼ同様の救命効果が実証された。すなわち死者は130人だったが、もしもヘリコプターがなければ243人が死亡したと推定され、ほぼ半分近い重症者が死を免れた。同じく障害者は4割減、社会復帰のできた人は2倍近くに達している。
表3-2 ドクターヘリ試行的事業の救命効果
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東海大学 | 実績 |
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推定 |
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川崎医科大学 | 実績 |
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推定 |
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合 計 | 実績 |
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推定 |
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[注]平成11年10月~平成13年3月(1年半)のドクターヘリによる治療実績
2 本格事業7ヵ所の成果 前項のような試行結果を得た、ドクターヘリは平成13年4月から本格事業へ移行した。現在は先に述べたように8ヵ所でおこなわれているが、まだ7ヵ所でおこなわれていた平成15年の状況が「ドクターヘリの実態と評価に関する研究」(益子邦洋ほか、平成15年度厚生労働科学研究)にまとめられている。それによると、平成15年中(1~12月)に7ヵ所のドクターヘリが出動した回数は2,662件、救護を受けた患者数は2,574人であった。このうち転帰調査のできた重症患者は1,702人だが、治療の結果は表3-3のとおりとなった。
表3-3 ドクターヘリの成果
死 亡 障 害 軽 快 合 計 実 績 542 277 883 1,702 推 定 821 408 473 増 減 -279 -131 410 ― 成 果 34.0%減 32.1%減 86.7%増 ― [資料]益子邦洋ほか「平成15年度厚生労働科学研究」、平成16年3月 上表に示すように、実際の死者は542人であった。しかし、もしもヘリコプターがなければ死んだと思われる重症者は821人。その差279人が「避けられた死」(Preventable Death)を免れた。その比率は推定死者821人に対して34%に上る。
同様に重い障害の残った人は277人だったが、もしもヘリコプターがなければ408人が後遺症をかかえることになったと見られる。その差131人、32%が後遺症を免れたのである。
さらに、怪我や病気が軽快して社会復帰を果たした人は883人である。ヘリコプターがなければ473人しか復帰できなかったと見られるところから、社会復帰者は1.86倍と、2倍近くに達している。
[後記]平成16年度実績は、転帰調査が可能であった1,592例についてみると、下表のとおり、ドクターヘリを使うことによって、陸路または水路で搬送した場合の推定値にくらべて、死亡は27%減、社会復帰は45%増となった。
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実 績 |
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推 定 |
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増 減 |
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成 果 |
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[資料]益子邦洋ほか「平成16年度厚生労働科学研究」、平成17年3月
3 交通事故におけるドクターヘリの効果 ヘリコプターの救命効果は、交通事故の場合さらに高い。上に見てきた効果は、脳や心臓など内因性の重症者も含むものであったが、この中から交通事故による外傷患者だけに絞ると、ヘリコプターの効果がいっそう際立って見えてくる。次表3-4はそれを示すもので、平成14年度中にドクターヘリで救護された交通事故負傷者の予後を調査したものである。
表3-4 交通事故におけるドクターヘリの効果
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実 績 |
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推 定 |
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成 果 |
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[資料]益子邦洋ほか「HEM-Net調査報告書」、平成16年6月 上表によると、症例数は470例。死亡は83例であったが、ヘリコプターがなければ136例に達したものと推定される。すなわち39.0%が避けられた死(プリベンタブル・デス)を免れたことになる。前項の全症例を対象とした平成15年度の34.0%を上回る結果となった。これはカーラーの曲線からも明かなとおり、交通事故の方が内因性の疾患に比してヘリコプターの効果が高いことを示している。
第4章 救急ヘリ運用方式のあり方 1 本格的救急ヘリ・システム確立の必要性 第1章で諸外国のヘリコプター救急システムの現状、第2章で日本の現状を見てきたが、一読すれば明らかなように、両者の間には格段のひらきがあり、日本の現状は、諸外国のそれに比べて、はるかに遅れをとっているといわざるを得ない。われわれは、単純に諸外国と日本を比較し、救急ヘリの普及度を諸外国と同じレベルまで引き上げるべきだと主張するつもりはない。
確かに日本の場合、その人口密集地域の多さ、電柱の林立といった諸条件により、ヘリコプターの利用そのものが諸外国より制約されていることは認めざるを得ない。たとえば、山国スイスと同じようにヘリを飛ばせということ自体に無理がある。また、救急ヘリ運用に関わってくる行政官庁や医療機関がかかえている問題にも、日本独特の背景事情があり、長期的な視野に立って検討しない限り解決の望めないものがあることも事実である。
しかし、そうした諸条件の悪さを認めた上でも、前述のように、救急ヘリが救命率の向上や予後の改善などに多大の効用を発揮するものである以上、可能な限り速やかに、日本の実情にあった形での普及をはかる必要がある。
今の日本には、「救急ヘリがあったら助かったであろう命」が助からずに終っている事例が日々起こっている可能性がある。その意味で、事は、人々の生死にかかわる重大事である。手を拱いていてよいわけがない。
われわれが日本において、全国的な普及を主張するのは、「本格的な救急ヘリコプター」である。
この場合、本格的な救急ヘリコプター・システムが構築されているといえるためには、救急用装備をととのえたヘリコプターが、一定の地域を、少なくとも昼間帯はカバーして、常に医師を同乗させることができる形でスタンバイしているという仕組みができ上がっていなければならない。こういう要件を満たす本格的な救急ヘリコプターのことを、以後われわれはカギ括弧をつけて「救急ヘリ」と称することとする。
「救急ヘリ」の仕組みが出来ているというためには、ただ単に、救急活動に利用できるヘリコプターがそこにあるだけでは、足りるものではない。
厚生労働省の所管するドクターヘリは、先述の条件を満たした「救急ヘリ」である。したがってドクターヘリのシステムが、全国に行き渡れば、なにも言うことはない。
しかし、ドクターヘリの普及には、それを阻む事情がいくつかあって、なかなか順調にいかず、それが整備されているのは7県に過ぎないのが実状である。
2 ドクターヘリ方式の普及を阻む事情 ドクターヘリの普及を阻む事情には、病院ヘリポートの不足とか、ヘリ運航条件の未整備とかの技術的な問題の他、費用負担の問題、医療機関側の受け入れ体制が整わないなど、さまざまな問題がある。それらの問題について順次述べていくが、実は消防・防災関係者の救急ヘリに対する認識にいささか問題があるという指摘がある。すなわち、消防・防災関係者によっては、ドクターヘリと消防・防災ヘリを二者択一的に捉え、消防・防災ヘリを活用すれば、救急体制としては十分であり、あえてドクターヘリを導入することは必要ないと考えるか、コストがかかり過ぎると考えるところがあり、そのことがドクターヘリの普及を妨げているというわけである。
消防・防災ヘリの救急活用さえまだまだ考慮の外としている消防・防災関係者もいるなかで、あえてそれを積極的に推し進めようとする姿勢は高く評価されてしかるべきである。しかし、消防・防災ヘリのみの活用にとらわれる「消防・防災ヘリ・モンロー主義」に陥っていいわけはない。サービスの受け手である住民の立場に立つならば、ドクターヘリとの関係も視野に入れ、柔軟に考えていくべきであろう。
3 消防・防災ヘリ活用方式の問題点 消防・防災ヘリは、現在全国で69機ある。救急活動は消防・防災機関の本来の使命のひとつであるから、その保有するヘリコプターの有効活用を図って救急活動を発展させようと考えるのは、ごく自然なことである。事実、最近は消防・防災ヘリの救急運用の実績が次第に増加する傾向にある。ただ、消防・防災ヘリは、救急活動の他、消火活動など多様な使命を持つため、救急運用に重点を置く方針をとったからといって、それだけでドクターヘリと同等の救急活動が確保されるというわけにはいかない。
やはり、先述の要件を満たす「救急ヘリ」の実態を持つものとして運航できる恒常的な仕組みができていないと、十分とは言えない。
現在、消防・防災ヘリの救急運用の拡大がはかられているにもかかわらず、実際には、おしなべて、低レベルの運航実績に終わっているのは、まさに、そうした恒常的な仕組みができていないからに他ならない。
われわれは、基本的には「救急ヘリ」の運用方式は単一ないし統合されたものである必要はなく、ドイツのように多様に存在しても一向に構わないと考えている。
現場の救急医なり患者にしてみれば、救急のために飛来してくるヘリコプターが、ドクターヘリであろうと消防・防災ヘリであろうと、どちらでもよいことである。ただし、それは、救急活動に専従できる「救急ヘリ」としての要件を満たしたものである必要がある。
すでに紹介した消防・防災ヘリの救急運用に関する「兵庫方式」や「広島方式」は、まさにこの点を解決しようとした工夫であり、それが、どのような実績をあげるか注目されるところである。
ただ、「兵庫方式」にしろ「広島方式」にしろ、常時1機を本格的な「救急ヘリ」としてスタンバイさせる仕組みを消防・防災ヘリの救急運用で組み立てようとすれば、当然複数機が必要になる。しかし、消防・防災ヘリを複数機保有しているのは、全国で11都道府県に過ぎない。それ以外の県は、消防・防災ヘリを活用して「救急ヘリ」の仕組みを作ろうとすれば、数県が合同する以外にないが、2県2機の運用では、実際問題として、常時救急体制の確立はかなりの困難に直面しよう。むしろ、当該県にある既存の警察、自衛隊等の保有ヘリとの連携運用の道をさぐるほうが、現実的かもしれないが、これとても、実際には極めて難しい作業と調整を要する。しかし、そうした困難を克服しない限り、消防・防災ヘリの活用による「救急ヘリ」システムの構築はできないのである。
4 救急車と救急ヘリの組み合わせ運用 救急ヘリの運航方式がどのようなものになるにせよ、「救急ヘリ」と救急車の運用の調整をどのようにしてはかるかは、重要な問題である。日本には、全国で約5,600台の救急車が配備され、約58,000人の使命感あふれる救急隊員に支えられて昼夜の別なく活動し、年間の出動回数は483万回を超える。この出動回数がいかに多大なものであるかは、警察のパトロールカーの出動回数が、年間230万回程度であることと比較すると、よく理解できよう。日本の救急車活動は、世界に冠たる水準にあるといって過言ではない。
われわれ「救急ヘリ」の普及を推進しようとする者も、日本の救急車活動を高く評価しており、「救急ヘリ」は、あくまで救急車を補完し、救急車と連携して活動するものと考えている。実際、ドクターヘリなり消防・防災ヘリが出動する場合には、救急車も必ず現場に急行しており、ヘリコプターに搭乗して現場に到着した医師は、救急車のなかで患者に対する初期治療を施すのが通例である。
また、「救急ヘリ」は、救急車にない効用を持つことは確かだが、その飛行は、夜間は困難、気象条件により左右されるなどの制約があり、確実な利便性では救急車に劣る。これまでも、現在も、これからも、日本の救急活動の主力は、救急車によって担われることは論をまたない。
ただ、日本の実状を見れば、農山村部において、道路の未整備その他地形的な条件の悪さにより、救急車の走行がままならないところがあって、ヘリの出動が期待されるところが多いだけでなく、都市部ないしその周辺部においても、交通渋滞等の事情により救急車の走行に長時間を要し、ヘリコプターを活用したほうが、よほど間尺にあうケースが数多く存在するのも事実である。
平成16年版消防白書によれば、救急車の事案覚知から病院搬入までの平均時間は約29.4分とされており、平均的には極めて迅速な救急活動がとられている。しかし、同じ白書は、平成15年中に搬送された458万人のうち、病院収容までに30分以上の時間を要した者が38.5%、176万人もいたことも示されている。この多くは、おそらく、道路整備の悪い農山村部の搬送例にかかるものであろうが、都市部の長時間搬送もかなり含まれていることも否定できない。
都市部の長時間搬送例については、近畿救急医学研究会が2001年と2002年の2年間、大阪市内のある救命センターについて行った調査があり、それによれば全搬入例の24%にあたる990例が30分以上の長時間を要していたとされている(同研究会編「近畿地区における救急ヘリ搬送の現状と課題」)。こうした長時間搬送のうちのいくつかは、「救急車では間に合わない。ヘリがあったら助かるのだが」というケースであった可能性がある。
また、特に最近は、医療技術の高度化と専門化に伴い、脳疾患、心臓疾患や一定の外傷など特定の疾患に関しては、「最寄り」の医療機関に患者を搬送すればそれで済むというわけには行かなくなり、多少遠くても「最適」の医療機関に搬送しなければ、人事を尽くした医療を行ったことにはならないと判断される場合が多くなってきている。
そうなれば、救急車だけに頼った救急活動だけでは不十分で、「救急ヘリ」を活用して長距離の患者輸送の仕組みを作り、事態に応じた適切な対応をしていくことが、必要になる。そして、この必要性は、農村部であろうと、都市部であろうと変わるところはないはずである。むしろ、日々複雑な疾患が数多く発生する都市部のほうが、必要性は高いと言えるかもしれない。
全国どこでも、救急車の活動を補完する「救急ヘリ」の仕組みを作り、両者を組み合わせて、最適の救急医療体制を築くことが求められる時代になってきているのである。
この点、救急車の運用に当たる救急隊員その他の救急関係者になかに、「救急ヘリ」の重要性と必要性について十分に認識していない者がいるという指摘があるのは残念なことである。それが、事実とすれば、なるべく早く是正されなければならない。
確かに日本では、救急活動は、普通は、救急車で行うのが常識と考えられてきており、「救急隊」の編成のなかに、ヘリを含めることが正式に定められたのは、1998年3月の消防法施行令改正以降のことであったから、まだ、それから間もない現在、救急隊員のなかに「救急ヘリ」の効用を実感しにくい者がいても、不思議はないのかもしれない。
救急隊員その他の救急関係者に、「救急ヘリ」の重要性と必要性を認識させる教育を強化すべきであろう。
5 ドクターヘリと消防・防災ヘリの組み合わせ運用 救急車と「救急ヘリ」の連携運用が必要であるのと同じように、ドクターヘリと消防・防災ヘリも、両者が並存する場合は、その連携運用をはかるべきである。その場合、消防・防災ヘリは、救急専用の仕様とされるBK117を導入しているところもあるが、多目的な用務をこなすために中大型のものが多く、小回りの利く小型のドクターヘリとは使い勝手が異なるので、それぞれの機能特徴を踏まえた使い分けを検討しなければならない。
また、消防・防災ヘリの出動手続きは、必ずしも緊急用務のことばかりを念頭に置いて作られたものではないから、ドクターヘリと連携運用をする場合、両者の出動手続きに時間差の出ないようにする配意も必要になる。
さらに、両者の運用機関の間における指揮命令系統の調整も不可欠である。
ドクターヘリと消防・防災ヘリの組み合わせ運用に関しては、ドクターヘリを既に保有する県において、連携運用の実務例が、少しずつではあるが、見られるようになっている。
和歌山県は、隣接する奈良、三重両県の一部を含みドクターヘリを運用しているが、ドクターヘリに消防用、医療業務用の両方の無線装置を備えている他、現場救急および拠点の和歌山医大病院への搬送はドクターヘリ、県外への転院搬送は県有防災ヘリと使い分けている。
いずれにせよ、ドクターヘリと消防・防災ヘリは、二者択一の関係にあるのではなく、両者が連携して、本格的な救急ヘリの機能を果たすものとしての力を相乗的に発揮し、救急活動の万全を期すべき関係にあることを認識しておく必要がある。
6 「救急ヘリ」の必要数 「救急ヘリ」を全国的に配備し、救急車と組み合わせて最適の救急医療体制を築くといっても、それでは、「救急ヘリ」を全国で何機、どのように整備すればよいのであろうか。「救急ヘリ」の先進国であるドイツやスイスにおいては、前述のとおり、ヘリコプターの出動拠点を整備する場合、各ヘリの担当範囲を拠点からおよそ50kmとするという基本的な考え方がある。拠点から50kmを担当範囲とするヘリは、その巡航速度を時速200km程度とすると、担当区域内のどこへでもおおむね15分以内に到着できる。
特にドイツでは、医師が事案を覚知してから、どのくらいの時間で救急現場に到着できるかということが重要視されており、前述のとおり、各州法によって医師の救急現場への到着「許容」時間が法定されている。そして、それは、州によって異なるが、最も遅く設定されているところでも、事案覚知後15分以内とされている。各ヘリの担当範囲を50kmとするのも、この医師の現場到着時間15分以内を実現するためのものといえる。
日本に「救急ヘリ」の配備を考える場合も、この「各ヘリ担当範囲50km」、「医師の現場到着15分以内」という目安は、参考にすべきものと思われる。事実、ドクターヘリの導入を唱道される救急医療関係者の間では、この目安が妥当なものと認められているようである。
たとえば我が国において、つとにドクターヘリの導入を主張しておられる小濱・川崎医大名誉教授が「救命救急センターを中心に救急車で30分以上を要して搬送されている症例が年間300~500件ある救命センターであるならば、ドクターヘリが必要であると判断される」とされ、救急車の「現場到着に15分以上を要している件数でもよい」と述べておられるのは(同教授著『ドクターヘリ』)、この目安を踏まえたものと思われる。
ところで、この目安を基に「救急ヘリ」の必要機数をはじいていくと何機になるか。仮に、日本がドイツと同じレベルの「救急ヘリ」を持つことを目指すとすると、日本とドイツの国土面積は、ほぼ同じだから、ドイツと同じ78機程度が必要ということになる。
この数字は、ドクターヘリの配備が7県に止まっている日本の現状を見れば、理想に過ぎる数字といわなければならない。
まず、少なくとも各都道府県に1機の本格的な救急ヘリの配備を実現し、その上で飛行実績を積み重ねて「救急ヘリ」の重要性と必要性を一般国民によく実感してもらいながら、更にきめ細かな配備を目指していくのが、現実的と思われる。
7 『都道府県「救急ヘリ」配備検討委員会』(仮称)の設置 以上述べてきたとおり、「救急ヘリ」の運用方式についてはさまざまな検討課題があるが、これらの課題を具体的にどのような「レベル」と「場」で検討していくべきであろうか。「救急ヘリ」の配備は、つまるところ、「地域救急医療の質」にかかわる問題である。ある地域について、その地域内の住民に、いかに質の高い救急医療を提供できるかを突き詰めて考えた場合、「救急ヘリ」の配備によって高い質の救急医療を提供できると判断されるときは、その配備をはかっていくということである。
では、この「地域」は、どの範囲の区域を言うか。おそらく、それは、いくつかの市町村をたばねて成立している生活文化圏、いわゆる「地方」とか「方面」と呼ばれている区域を指すものとするのが妥当であろうが、この「地域」ごとに「救急ヘリ」の配備を検討するというのは、日本のドクターヘリと消防・防災ヘリの配備の現状を見る限り、現実的とは思われない。
現状では、当面「各県1機」の「救急ヘリ」配備を検討するのが現実的であるのであれば、やはり都道府県のレベルに『「救急ヘリ」配備検討委員会』(仮称)のような組織を設置して、そこで、各「地域」の実状を具体的に勘案しながら、全都道府県的視野に立った検討を行っていく以外はない。
この検討の結果、既存の消防・防災ヘリの活用方式により、十分に「救急ヘリ」の機能を果たし得る体制が取れるという結論がでれば、その線で進めばよい。また、消防・防災ヘリだけでは体制が取れないが、当該都道府県に所在する警察、自衛隊等の協力が得られ、その保有するヘリと連携すれば、「救急ヘリ」機能を果たし得る体制が取れるというのであれば、それでもよい。
あるいは、数府県間で合同の検討委員会を設置して議論し、数府県がその持てる消防・防災ヘリを集中運用して、それぞれの府県の「救急へリ」需要をまかないつつ、体制が組めるという結論に達し得るのであれば、結構なことである。
しかし、そうした具体的な検討の結果、既存の消防・防災ヘリ等の運用では、本格的な「救急ヘリ」のシステムが組めないという結論に達した場合には、ドクターヘリの導入を図らなければならないだろう。
『「救急ヘリ」配備検討委員会』の構成については、ドクターヘリの導入に際して設置されるものとされている「運航調整委員会」の例が参考になると思われる。
「運航調整委員会」は、都道府県、市町村、地域医師会、消防、警察、運輸、教育委員会等関係機関の他、ドクターヘリ運航会社及び有識者により構成されるとされている。要するに、ドクターヘリの運用に関連を持つと思われるすべての関係者が参集する仕組みになっている。
「救急ヘリ」の配備を検討する場合も、この例を参考にしながら、できるだけ広い範囲の関係者の合意が得られるように配意しながら、具体的な課題の検討を行っていくのが望ましい。
なお、『「救急ヘリ」配備検討委員会』においては、ヘリの配備場所、同乗医師の確保、医師の待機の方式、運用通信系の設定など、もっぱら救急ヘリの運用システムの構築自体に議論を集中すべきであって、その費用負担の問題をどう解決するかの問題は、後述するように、全国的な視野に立って、新しい角度から検討していくべきことと考える。
費用負担の問題を各県レベルで解決するのは、難しい局面にさしかかっている。「救急ヘリ」の導入に当たっては、その費用負担の問題は国のレベルで統一的に処理し、その運用システムの構築のあり方は各県のレベルで多様に決定するのが妥当であると思われる。
第5章 ヘリコプター運航費の負担問題 1 考え方の基本 これまで述べてきたとおり、「救急ヘリ」の仕組みを作る場合、ドクターヘリ方式で行くのか、消防・防災ヘリ活用方式で行くのかは、それぞれの都道府県ごとに「救急ヘリ配備検討委員会」(仮称)を設置して、そこで決定すべきことだが、どちらの方式をとるにせよ、ヘリコプター運航費の負担問題は、別途解決しておかなければならない問題である。北海道の手稲渓仁会病院が全国の民間病院で唯一、公的な資金補助を受けずに、ドクターヘリと同質の救急ヘリサービスを、暫定的にではあるが、行っているという稀な例がある。しかしそれ以外は、ドクターヘリも、救急用務に従事する消防・防災ヘリも、公的資金を使って運用されているので、ヘリの運航費用を、だれが、どのように負担するかという問題は、これまで表立って議論されたことはない。しかし、だからと言って、費用負担は問題にならないということではない。
ドクターヘリを導入しようとする場合、最大の隘路が費用負担の問題であるのは、紛れもない事実である。ドクターヘリの年間運航経費は、人件費や機材の償却費などすべてを含めて、1機当たり約2億円である。この額は、救急車の年間運用経費が、1台当たり約8,000万円程度であるのと比べて、かなり割高である。
そのためドクターヘリの導入が議論になると、「救急車に比べ高過ぎて、予算措置がとれない」、「そのような高価なものを導入するくらいなら、消防・防災ヘリの救急運用を拡大するほうがよい」などといった説が有力になり、結局のところカネの問題がネックになって導入が見送られるというケースが、多々あるのが実状である。
ドクターヘリの負担区分は、当初、国が3分の2、都道府県が3分の1であったが、途中で両者半々の負担ということになった。そのため都道府県側にしてみれば、負担がいっそう重くなったという事情もある。
ここ当分の間は、いわゆる「三位一体改革」の激風が吹き、国の国庫補助負担金の廃止と地方の税を含む一般財源の確保という構図が追求されることになるから、そういう状況下では、公的財源だけで運航費用を賄いながらドクターヘリを導入しようという雰囲気はなかなか出てこないであろう。
消防・防災ヘリ活用方式をとる場合も、「救急ヘリ」の仕組みを作ろうとすれば、消防・防災ヘリの救急運用をすこし拡大する程度ではとても済まないから、新機の購入を含め、かなりの追加的出費を覚悟しなければならず、財政負担を増大させる事情はドクターヘリの場合と、そんなに変わらない。
しかし、果たして、ドクターヘリの導入は本当にそんなに高くつくものであろうか。われわれは、ここで、すこし発想を変えてみる必要があると考える。
仮に今、ドクターヘリの全県配備を念頭に全国で50機導入したとする。1機当たりの運航費用は、先に述べたとおり年間2億円であるから、全体では約100億円が必要ということになる。この額は、国民1人当たりにすれば、年額約80円である。
ヘリコプターは、確かに車両よりも高くつく。しかし、国民1人当たり80円という金額は、そんなに高額であろうか。ドクターへリは、その活用によって、救命率が大幅にアップし、予後の改善も期待できることが実証されている。そうした効果をあげ得るドクターヘリの導入にこの程度の国民負担を課すのは、それほど不都合なこととは思われない。消防・防災ヘリ活用方式を取る場合、どの程度の負担になるかは、計算が難しいが、ドクターヘリの場合より高くつくことはないはずである。
また、ドクターヘリについては、たとえば燃料費に関する租税減免、固定資産税減免などの税優遇措置をとることによって実質的に公費負担額を軽減することができるし、また行政財産処分の特例をつけることができれば、自衛隊所有ヘリの低価格払い下げによってヘリ購入費用を削減することができるであろう。現在の仕組みの中でも負担軽減の工夫はいくつかできそうである。
こう考えれば、どのような方式であれ、「救急ヘリ」を導入し、その維持をすべて公費で賄うことを決断するのは、決して贅沢な選択ではなく、むしろ住民の生命を重視する姿勢を鮮明にしようとする立派な政策判断であり、そのような決断をする地方自治体が出てくるのは、大いに推奨されるべきことである。
ただ、さはさりながら、財政状況極めて厳しき折から、「救急ヘリ」の運航費用を公費負担でまかなう以外の方策を考えないというのも、いささか芸のない話である。諸外国の例なども参考にしながら、他の方策を検討する時期に来ているのではないか。
その場合、われわれは、次の点を基本にして考えることとしたい。
第一は保険的な発想に基づき、救急ヘリの運航費用を広く薄く負担する仕組みを作り、いざ危急に当面した人が救急ヘリを使用した場合の個人負担を最小化することである。
この点、参考になるのは、スイスのREGAの仕組みである。先に紹介したとおり、スイスではREGAという民間の救急組織が、ヘリコプター運航費の約半分をヘリ搬送者の医療保険で賄い、後の半分をパトロン制度という一種の任意保険の制度を作って賄うという方式で、公費補助は一切受けずにヘリ救急を行っている。日本でも、似たような仕組みができないものか。
第二は、「救急ヘリ」の運航費用の負担問題を、救急車の運用とは切り離して考えるということである。患者を搬送する輸送手段としては、救急車も「救急ヘリ」も同じである。しかし、その費用負担の問題を救急車と「救急ヘリ」に共通する問題として一括して議論すると、話が大きくなりすぎて、収拾がつかなくなるおそれがある。
救急車の運用が年間460万件に達し、その赫赫たる救急実績とは裏腹に、財務的には市町村財政を圧迫している事情がある一方で、救急車をタクシー代わりに使う者のいることが話題になる実態を見ると、救急車の運用費用をいつまで全額公費負担としておくことができるかという問題は、将来議論を避けて通れない問題になるのかもしれない。しかし今の時点では、それとは切り分けて、「救急ヘリ」に限って運航費の負担問題を検討するのが現実的と思われる。
その場合、「救急ヘリ」を救急車と異なるものとして扱う根拠をどこに求めるか。「救急ヘリ」の場合、医師が同乗して現場に急行して治療に当たり、患者を病院に搬送する間も医師による医療行為が行われ得るという点で、一定の応急の手当てをするとはいえ救急隊員による患者の搬送をもっぱら任務とする救急車とは異なることに着目すべきであろう。
「救急ヘリ」は、単に救急車に比べて患者をより早く搬送できるという点よりも、むしろ医師の現場急行により迅速に医療行為を開始し、救命効果を高めることができる点にこそ最大の特徴がある。その意味で「救急ヘリ」は、迅速的確な医療行為を可能にする、医療行為と密接不可分の機能を果たすものと言えよう。
「救急ヘリ」をそのように位置付けると、一部の市で行われている、いわゆる「ドクターカー」も、「救急ヘリ」と同じ扱いになる。また、後で述べるように、将来メディカルコントロールの仕組みが整い、かつ救急救命士の知識・技能の向上が進んで処置範囲の拡大がはかられ、医師と同等の医療行為ができる資格を持つ救急救命士が登場するようになれば、そうした救急救命士の同乗するヘリコプターも、「救急ヘリ」扱いをされることになろう。
以上2点を基本に、費用負担のあり方を考えることとするが、その前に、どうしても避けて通れない問題として、「救急ヘリの経済効果」に関して若干の考察をしてみたい。
2 「救急ヘリ」の経済効果 先に、ドクターヘリの導入に際し、救急車と比べて高くつくということが二の足を踏む原因になっていると述べたが、もうひとつ、「高いドクターヘリを導入するのなら、それに見合った費用対効果が上がることが証明されなければならない。しかるに、その証明はなされていない」という指摘がドクターヘリ導入慎重論を支えている。たしかに、どのような方式であれ、「救急ヘリ」を使った場合、救急車を使った場合に比べ、かかった費用との対比において、どの程度の経済的効果が出るのか、あるいは出ないのか、その辺のところを、もう少しはっきりさせることは、重要なことである。
しかし、日本には、「救急ヘリ」の経済効果を定量的に分析した研究は、これまでのところほとんどない。実は、外国にもあまりない。ドイツなどでは、「救急ヘリ」の運用がADACの決断によってどんどん始まり、その飛行実績の積み重ねのなかで、救命効果が飛躍的に高まることが実証されてきたので、改めて経済効果を問う必要に迫られなかったという実状があるようである。
ただ、日本の場合、費用負担がネックになって、ドクターヘリの導入が進まず、実績の積み重ねすらままならないのが実状であるから、導入に説得力を持たせる意味からも、「救急ヘリを持てば、これだけお得です」というところを、ある程度示す必要があるだろう。
日本には、「救急ヘリ」の経済効果を定量的に分析した研究は、ほとんどないと述べたが、絶無ではない。東京国立災害医療センターの研究チームが1998年当時、同センターが取り扱ったヘリ搬送107例(必ずしも、医師同乗ではないことに留意する必要がある)について行ったものがある。
この研究の概要を簡単に紹介すると、まず、ヘリ搬送例のカルテをレトロスペクティブに検索し、仮に、その症例患者を救急車で搬送していたとしたら、その重症度と予後がどのように変わるかを個別に検討し、次表のような転帰を得た。
表5-1 ヘリコプターで搬送された患者107名の転帰
ヘリコプター搬送 救急車搬送 推定人数 推定増減 重症者 死亡 15 29 14 障害の残った者 10 22 12 軽快した者 52 32 -20 中等症 30 24 -6 合 計 107 107 0
これらの重症度と予後の転帰の変化を比較しながら、各症状別患者の平均入院日数に同院の1日当たり症状別平均医療費を掛け合わせて得られる医療費総額がヘリ搬送の場合と救急車搬送(推定)の場合とでどのように異なってくるかを見たところ、ヘリ搬送では、約1億2,300万円であった医療費が、救急車搬送では約1億4,600万円を要すると推定され、ヘリコプターの方に約2,300万円の医療費削減効果があると認められた。
また同研究は、ヘリ搬送の生み出す社会的な損失の回避効果を見るため、死亡により生ずる国民総生産の損失および障害の残存により必要になる介護費・生活費の増加が、ヘリ搬送と救急車搬送でどのように異なるかを算定した。その結果、ヘリ搬送死亡者の平均年齢は49.6歳だったので、これらの者が60歳まで働いていたら得たであろう国民所得の損失は、1人当たり国民総生産を600万円として算定すると約9億円となるが、これを救急車で搬送した場合の推計値約17億4,000万円と比較すると約8億4,000万円の損失回避となることが示された。
さらに、障害を持って退院したヘリ搬送者10名の平均年齢は40.2歳だったので、これらの者の障害状態が20年間継続したとし、その介護と生活に要する経費を一人当たり年間550万円として計算すると11億円を要する。それに対し、救急車搬送の場合は、障害を持って退院するであろう者が22名となり、それに要する介護・生活費は約24.2億円と推計されるので、ヘリ搬送は差し引き13.2億円の経費削減効果を生むという結果が得られた。すなわち、この研究によれば、国立災害医療センターの107例のヘリ搬送は、医療費で約2,300万円、国民総生産で8.4億円、介護・生活費で13.2億円、合計21億8,300万円の社会的損失を回避できたという分析結果になったのである。
この研究は大変興味深いので、日本医大千葉北総病院のドクターヘリが平成15年中に扱った338例について、同じ手法による分析を行った結果、ヘリ搬送の場合は、救急車搬送の場合に比べ、医療費では約300万円に止まったが、国民総生産で40.3億円、介護・生活費で27.5億円、会わせて67.83億円の損失回避をあげ得るという分析結果が示された。
もとより、この分析手法が客観性と妥当性を持ち得るためには、さらに他のドクターヘリ運用病院の取り扱い例についても同様の分析を行い、その結果を検証する必要があろう。分析手法の修正も検討しなければならない。
また、まったく別の手法による分析にも着手して、「救急ヘリ」の経済効果に関する定量的分析を多角的、かつ精度の高いものにしていくことも必要である。いずれにしても、救急ヘリの経済効果の定量的な算定は、これからの課題である。
われわれHEM-Netは、各界の専門家の協力を得ながら、この分野の調査・研究を積極的に行っていこうと考えているが、「救急ヘリ」が、救命率の向上、予後の改善といった医療効果において優れているだけでなく、経済効果においても優れていることを実証できる自信を持っている。
3 費用負担のあり方 ドクターヘリ方式であれ、消防・防災ヘリ活用方式であれ、「救急ヘリ」の運航を「公的サービス」としてとらえ、全額公費負担で行っていこうとするのは、それはそれで合理性のある立派な政策判断であるとこは既に述べた。しかし、国、地方公共団体とも厳しい財政状況に直面している時に、すべてを公費負担のままでよいとするのも、いささか「親方日の丸」に過ぎる。われわれは,救急ヘリ搬送に関しては救急車搬送と切り離して、保険的な発想に基づき、その運航費用を薄く広く負担する新たな仕組みを作る方途を検討すべき時期に来ていると考える。
そこで先ず考えられるのは、ヘリコプターの運航費に医療保険を適用することである。
3-1 医療保険の適用 (1)ヘリ運航費用の全部ないし一部を医療保険でまかなっている例は、ドイツ、スイス、アメリカなど諸外国に見られるところである。もちろん保険制度は国によって根幹が異なるので、外国の例をそのまま鵜呑みにして論ずるのは当を得ないが、ヘリ運航費用を医療保険に組み込む考え方自体は、別に新奇なものではなく、多くの国で既にやっていることである。日本においても、ヘリ運航費用への保険適用が理論的にできないとか、制度的に無理ということはない。
現行の医療保険制度においても、保険給付の種類のなかに「移送費」が法定されているところであり、患者の「移送」が保険給付の対象になりうることは、概念的に認められている。
したがって、この「移送費」をヘリ運航費用の全部または相当部分に適用すれば、個々のケースにおけるヘリ搬送費用は、医療保険の給付のなかで処理されることになり、ヘリ運営者および搬送患者の負担を最小化することができる。
しかし、現在までのところ、厚生労働省は「医療保険は、もともと治療行為に対して保険金を支払うシステムである。ヘリコプターを含む救急搬送は、医療提供体制整備の一環と位置付けている」(平成15年10月30日当法人HEM-Net主催シンポジウムにおける厚生労働省担当官発言)という考えに立って、ヘリ運航費用を保険給付の対象とする意向は持っていない。
たしかに、ヘリ搬送費用を「移送費」のなかに組み込むことには、問題があるかもしれない。厚生労働省の「移送費」適用方針としては「当該移送の目的である療養が保険診療として適切であって、患者が移動困難であり、かつ緊急やむを得ないと保険者が認めた場合について、最も経済的な通常の経路および方法によって移送された場合の費用により算定された額を、現に要した費用を限度として支給される」(平成6年9月9日付け厚生省通知)のが移送費とされているから、高額なヘリ搬送を移送費に含めると、移送費の概念が不明確になるおそれがある。
また移送費は、患者自身の判断で支払ったものを保険者が妥当と認めて償還するものであるから、医師ないし医師と連携する救急機関の判断で出動する「救急ヘリ」の運航費とは性格が異なることも考えなければならない。したがって、われわれは、ヘリ運航費用を何がなんでも移送費に含めよと主張するつもりはない。
ただ、「救急ヘリ」の果たす機能の特殊性を考えれば、その運航費用をなんらかの形で医療保険の枠内に組み込むことは、十分に合理的であると思われる。
すなわち、「救急ヘリ」は単に患者の搬送のみを目的とするものではない。医師が現場に駆けつけ、一刻も早い治療行為を開始するところに重要な機能があるものである。その費用の約半分は医師の往診費用に相当するものと言ってよい。
先にも述べたとおり、われわれは、この点において、救急ヘリ運航を救急車運用と区別して考えている。「救急ヘリ」運航費用を、いわば患者への治療行為と密接不可分の関係に立つ特殊な費用として、「治療行為に対して保険金を支払うシステム」のなかに組み込んでも、十分に理屈の立つことである。
どのような形で組み込むかは、今後の議論であろうが、一般の移送費とは別に「特別移送費」の概念を設けて、それを救急ヘリ搬送に限り適用してもよいし、あるいは「高額療養費」の一種に加えて、一定の自己負担額を設けて運用するのもよい。「特定療養費」のなかに組み込むことも考えられる。
とにかく、「救急ヘリ」運航を医療機関が行う「医療サービス」のひとつとして把え、医療保険が、ヘリ運航費用の全部ないし一部を公費から肩代わりして負担していく方策を考えるべきだと主張したいのである。
その場合、ヘリ運航費用は、駐機場などの基盤整備費部分とヘリ運航自体に伴う人件費などを含む事業費部分に区分することができるが、基盤整備費部分は都道府県と市町村が負担し、事業費部分を医療保険で負担するといった方式で負担を分担していくことも考えられる。
(2)もとより、組合健保の8割、市町村国保の6割が赤字経営と言われているように、医療保険財政の当面する厳しさは周知のとおりである。新たな負担を伴う医療給付の拡大を困難視する声が出てくるであろう。
ただ、ここで、ひとつの数字合わせをしてみたい。医療統計を見ると、国民医療費の総額は今や30兆円の規模に達している。ドクターヘリを全県配備して50機運航するとすると、先述のとおり年間約100億円がかかるが、この額は毎年支払われる医療費全額からみれば、0.03%に過ぎない。
さらに、医療費のうち救急搬送に関係の深い「損傷、中毒およびその他の外因の影響」により入院した患者にかかった医療費に限ってみても、その額は1兆円という膨大な額にのぼる(平成15年度厚生統計要覧)から、ヘリ運航費100億円は、その1%である。
もちろん、この0.03%とか1%という数字は、その数字自体にあまり意味はない。ただ、たとえヘリ運航費を医療保険の枠内に組み入れても、そのことによる負担増は、毎年支払われる膨大な医療費のなかに占める割合としては、精々その程度のものであるということを示す数字として、よく認識しておいてよい。
(3)しかし、負担増は負担増である。医療保険会計が厳しい状況下にあるのは周知のことだから、たとえわずかな負担増でも、それを正当化する理屈に説得力がないと話は前に進まない。そして、その説得力は、救急ヘリの運航にかかる経費を上回る経済的な効果が救急ヘリの導入によってもたらされることを実証しないと、なかなか出てこない。
この点、前項で紹介した国立災害医療センターや日本医大千葉北総病院の研究は、すでにドクターヘリが救命率の向上、予後の改善などの「医療効果」とともに医療費の削減、社会的な経済利益の逸失回避などの「経済効果」をもたらすものであることを示している。
ただ、2例ばかりの結果を一般化するのは尚早であるから、この研究の成果が客観的、妥当なものとして認知されるためには、今後さらに研究の範囲を広げ、より多くのデータを集めて、その精度を上げる努力がなされなければならないであろう。
われわれHEM-Netは、そうした努力を続けるつもりだが、ひろく官民をあげて、救急ヘリの経済効果を専門的に突っ込んで研究し、その上で救急ヘリの運航費用を医療保険で賄っていく方途を真剣に検討すべきではないだろうか。
いずれにせよ、医療保険制度は不慮の疾病に備えて社会全体で危険負担を行う仕組みである以上、先進国と呼ばれる国のなかで唯一「救急ヘリ」の普及がないため救命率が低く抑えられている日本の制度的欠陥を補うためにその適用範囲を拡大しても、不合理といわれる筋はない。
これは、どこの国でもやっていることである。
3-2 その他の保険の適用 救急搬送される患者に適用され得る保険としては、医療保険の他、患者が交通事故の被害者であった場合の自動車損害賠償責任保険(自賠責保険)、患者が業務上または通勤時の災害によって負傷したり病気になったりした場合の労働者災害補償保険(労災保険)があり、それぞれ、二重給付のないように配意されながら、独立して運用されている。自賠責保険によって支払われる保険金は、平成15年度で約9,230億円、同じく労災保険では、平成14年度で約7,940億円である。自賠責保険および労災保険の適用を受ける患者のなかには、当然、「救急ヘリ」搬送の対象になり得る者が含まれるから、われわれの見方では、それらの者がヘリコプターで搬送されるならば、救命率の向上、予後の改善という「救急ヘリ」の恩恵を受け、支払われる保険金も軽減されるものと思われる。それが、どの程度の額にのぼるものか、的確に算定されなければならないのは当然であり、われわれHEM-Netは、その算定に関する研究会を立ち上げている。
その保険金軽減額は、われわれの予想では救急ヘリの運航費をまかなって余りある額になる。たとえば、自賠責保険の年間保険金支払額約9,230億円の1%は約90億円。これはドクターへリ全県配備のほとんど全額を賄うことのできる額である。したがって、ドクターヘリの導入により自賠責保険金の支払いが1%以上軽減できるという計算が成立すれば、ドクターヘリは「ペイする」ということになる。
この計算の成立は、先述の厚生労働省の「ドクターヘリの実態と評価に関する研究」によって、ヘリ搬送が34%の死亡率減少効果を生むというデータが示されているところから考えて、それほど困難なことではない。
これまで、いろいろなところで、数字を示して「救急ヘリ」の経済効果に言及してきたが、この分野の研究事例が極めて乏しいため、いささか腰だめの言説になっていることは、認めざるを得ない。ただ、「救急ヘリ」の運航費用というものは、負担を広く分担する仕組みを作ればそんなに負担となるものではない、ということをご理解いただきたいのである。
4 『「救急ヘリ」運航費用管理機構』(仮称)の設置 以上述べてきたような各種の保険制度の適用により、「救急ヘリ」の費用分担が多様に成立した場合には、費用負担をする各制度の間をどのように調整するかが問題になる。「救急ヘリ」の運用方式も多様になる可能性があるだけに、誰が費用を負担し、誰がそれを肩代わりし、誰が支払うか、相互の関係は、極めて複雑になるであろう。ドクターヘリの場合、運航費用は公費からでているが、運用の責任は、各病院(和歌山以外は全て民間病院)が持っているから、運航費用を保険給付に移しても、話は比較的簡単かもしれない。しかし、消防・防災ヘリ活用方式の場合は、各消防・防災機関が他の業務と切り分けながら、その責任において運航を続けざるをえないので、費用の相当部分は当該機関の所属する地方公共団体の負担として残ることになるだろう。したがって、保険給付分をどこに誰が請求するのか、なにか簡便な仕組みを作らないと手続きが複雑になるだけである。
そこで、医療保険の場合の「社会保険診療支払基金」と同様の組織として、『「救急ヘリ」運航費用管理機構』(仮称)を設立し、そこに基金を管理して、ヘリ運航費用をヘリ運用者に一括して支払うこととするのが、合理的である。
機構設立者および基金出資者は、国、地方公共団体、各保険機関である。救急ヘリ運用者は、年間の運航費用を一括して、この機構に請求する。消防・防災ヘリ活用の場合は、運航に当たった各消防・防災機関が、この機関から所要経費の償還を受けることになる。
救急ヘリで搬送された患者に、保険料の支払い以外に、何がしかの自己負担を課すということになれば、各患者はそれぞれの負担額をこの機関に納入することになる。
また、この機関の運用する基金には、民間の病院もアクセスできるようにしておくべきである。各病院は、救急ヘリを運航しようとする場合、一定の条件を整え、都道府県ごとに設置される「救急ヘリ配備検討委員会」(仮称)の承認を得た上で運航を行い、その費用の支払いをこの機関に請求すればよいことになる。
この方式が実現すれば、民間病院のなかには「救急ヘリ」導入を積極的に進めるところが出てきて、「救急ヘリ」の普及は一気に加速するものと思われる。
なお、「救急ヘリ」を運用していると、なんらかの理由により患者の搬送に及ばないまま、いわゆる「空振り」の形で帰港することがよくある。その場合の費用負担が問題になるため、ひいては「救急ヘリ」の出動そのものが差し控えられることがあるが、この管理機関が費用を請負うようにしておけば、そうした場合の不都合も解消されることになるだろう。
以上、述べてきたとおり、「救急ヘリ」運航費用の負担問題は、ヘリ運航の経済効果を定量的に算定した上で、国、地方公共団体の他、医療保険、自賠責保険、労災保険等がそれぞれ負担を分担し、『「救急ヘリ」運航費用管理機構』(仮称)に一括して運航費用の管理を委託する仕組みを作ることにより解決されるべきであると考える。
第6章 メディカル・コントロール体制の確立 1 医師不足とパラメディックの養成 「救急ヘリ」の運用に関し医療機関側がかかえる最大の問題は、いうまでもなく、ヘリコプターに同乗する救急専門医その他の医師の確保である。たとえ前述のような本格的救急ヘリの仕組みができ上がり、費用負担のネックが解消されたとしても、現状で全国的な救急ヘリの展開が図れるかといえば、答えはおそらく否であろう。各県に1機の「救急ヘリ」を配備する費用の目途がついたとしても、同乗医師の確保ができない県がかなり出てくる可能性がある。医師不足の問題は、医療提供体制全体にかかわる問題であって、単に「救急ヘリ」運用の角度から論じても結論のでることではない。ただ、「救急ヘリ」運用体制の整備という点からは、医師不足がおいそれと解決できない問題だけに、それを補う方策として、いわゆる「パラメディック」、すなわち患者搬送時に広範囲の救急医療を施す資格のある高度の医療技術者の養成と充実に力を注ぐ必要があるということは指摘できる。
そのためには、これから述べるメディカル・コントロール体制を確立し、救急救命士等の医療技術者の知識と技能の飛躍的な向上をはかる必要がある。
2 メディカル・コントロール体制 メディカル・コントロール(MC)とは「救急現場から医療機関へ搬送されるまでの間において、医師以外の者が医療行為を実施する場合、当該医行為を医師が指示又は指導・助言及び検証して、それらの医行為の質を保障すること」である(文献1)。言い換えるならば、MCとは、医師法に基づき医師だけに許されてきた医療行為を、看護師、救急救命士など、医師以外のスタッフが行う際に、医師が直接的あるいは間接的に教育、指導、助言などを与える仕組みのことをいう。現在、消防・防災ヘリには、医師が必ずしも同乗しておらず、救急救命士や救急隊員がフライトするケースが多くみられる。このような場合、救急隊員が現場で行うことが可能な応急処置は極めて限られているため、十分な初期治療が行えない恐れがある。この状況を改善し、救急隊員が救命効果の高い処置を現場で行うためにも、救急救命士等の応急処置については、医師による現場治療に匹敵するよう技能の向上を図り、現場での処置範囲を拡大すべきだろう。そのためには、各地域において確固たるMC体制が構築されることが大前提である。
MCは、オンラインMC(直接的MC)とオフラインMC(間接的MC)に分けられる。前者は、救急隊等の現場活動に際し、医師が電話回線や無線等を通じて直接的かつ具体的に指示・指導・助言を行うものをいい、後者は、事前のMC(ガイドライン/プロトコールの作成及び研修)と事後のMC(救急活動の検証、症例検討会・研究発表会)に分けられる(文献2)。
事前の間接的MCのうち、ガイドラインやプロトコールは傷病者観察の手順、応急処置の適応や方法、搬送手段(陸路または空路)の決定や病院選定に関わる指針ないしは約束事である。MC協議会において承認されたガイドラインやプロトコールは、救急活動の評価・検証作業を通じて継続的に見直され、必要に応じて改訂されることが重要である。事前の間接的MCのもう一方の柱である研修は、救急隊員等が、プロトコールに則った現場活動を実施する上で極めて重要であり、定期的、継続的に行われていることが肝要である。
救急隊の現場活動に対する事後検証は、消防本部の指導的立場の救急救命士による業務管理的検証と、MC担当医による医学的検証に分けられる。医学的検証は、救急活動記録票や検証票に基き、個々の救急隊活動事例について観察や処置の適否を検証することをいうが、検証に当たっては、MC担当医の個人的価値判断によるのではなくMC協議会で策定したプロトコールに準拠した活動であったか否かが判断基準でなければならない(文献3)。
表6-1 事後検証の基準
- プロトコールに従った活動か?
- 必要な観察・処置を実施したか?
- 不必要な観察・処置を実施しなかったか?
- 現場活動時間は適切か?
- 搬送先医療機関の選定は適切か?
- 初診医のコメントは?
事後検証を効果的に行うためには、MC協議会において予め現場活動指針(プロトコール)を作成し、医師と救急隊員等が現場活動に対する認識を共有しておくことが大切である。
MC体制の構築には、十分な時間をかけて関係者が議論する必要があり、理想的なMC体制は決して一朝一夕に構築できるものではない。教育訓練手法の確立や、法律や政省令の改正なども根気よく行う必要がある(たとえばプロトコールに準拠した活動であれば、法的な責任を問われないといった法律改正)。もちろん、救急現場と医療機関(医師)とを結ぶ通信インフラの構築なども不可欠である。とりわけ、農山村地域の医療を考えるとき、救急医療の基幹的施設がない地域も多いことから、ヘリコプターを活用した広域救急医療圏の創設と、MC体制の整備は極めて重要な意味を持っている。
3 アメリカにおけるMC体制の現状 わが国では、「救急ヘリ」の導入やMC体制の構築が欧米先進諸国より20~30年も遅れているが、これとは対照的に長い歳月をかけ、世界一のMC体制を作り上げたのがアメリカであった。アメリカでは通常、フライトナース(看護師)とパラメディック(救急救命士)がヘリコプターに搭乗し、現場での救急業務にあたっている。病院前救護の最前線に医師が不在であるにもかかわらず、フライトナースやパラメディックによる救急サービスの質は極めて高く、医師が現場に駆けつけた場合と比較しても遜色のないプレホスピタルケアが提供されている。このように高度な医療処置を安全かつ確実に行うため、アメリカではメディカル・ディレクターと呼ばれるMC担当医により、現場活動指針(プロトコール)が作成され、医療処置の基本的な知識と技能について定期的な教育、研修が行われている。
アメリカのこのような充実したMC体制については、2002年11月のHEM-Net調査団によるスタンフォード大学付属病院の現地調査(文献4)でも報告されている。それによると、2002年に全米の「ベスト・ホスピタル」に選ばれたこの大学病院では、1984年以来20年の歴史を誇るヘリコプター救急医療サービスを「ライフ・フライト(命の飛行)」と呼び、その活動範囲は基地病院であるスタンフォード大学付属病院から半径240km、飛行時間にして約60分の地域に及んでいる。3機のヘリはエアメソッド社からチャーターしたもので、ライフ・フライトの医療スタッフは19人のフライトナースで、責任者もフライトナースという女性ばかりの組織である。
救急出動に際しては、パイロットのほかにフライト・ナース2人が乗り組む。フライトナースは主として医療業務を担当するが、クルーの一員として運航面の役割も担っており、無線連絡や緊急脱出操作のコントロールなども任されている。
特筆すべきは許可されている医療処置の範囲であろう。フライトナースは医師の代わりに、わが国の看護師では考えられない範囲の高度な医療処置を行う。
表6-2 米ライフフライトのフライトナースが施行可能な医療処置
- 動脈圧モニタリング
- 輪状甲状間膜穿刺・切開
- 燒痂切除術
- 大腿静脈内カテーテル挿入
- 骨髄輸液
- 気管挿管
- 胸腔穿刺
- 心嚢穿刺
上表に見るとおり、たとえば動脈にカニューレを挿入し動脈圧を測定したり、顔面外傷などで気道が閉塞しそうなときに、輪状甲状間膜穿刺や切開といって頸部の気管を切開して気道を確保することもできる。また焼痂切除とは焼けた皮膚を切開して減張する手技、さらに大腿静脈にカテーテルを挿入して輸液を実施する処置も許されている。もちろん、人工呼吸のための気管挿管や、胸壁に針を刺して胸腔内に貯溜した空気を抜く処置もフライトナースの仕事である。
このような高度な医療処置を、必要に応じて迅速かつ適切に提供できるよう、ライフフライトでは基地病院のスタンフォード大学救急部のスタッフが、交代でヘリコプター運航管理室に勤務し、現場のフライトナースからの指示要請に対し、必要な指示をリアルタイムに与えている。フライトナースの現場活動は、担当のメディカル・ディレクターによって作成された現場活動プロトコールによって厳しく定められており、その内容は心停止、外傷、意識障害、胸痛発作、喘息発作、激しい腹痛、吐血・下血、幼小児、緊急分娩など、多岐に渡る。
メディカル・ディレクターによる事後検証は、このプロトコールに則った活動であったか否かが重要となるため、フライトナースにはプロトコールの内容を正確に把握しておくことが求められている。またフライトナースには、これら高度な医療処置の技術水準維持のため、年に2回の技能講習が義務付けられている。ライフフライトの事後検証は、検証対象者が病院所属のフライトナースであるため、搬送の都度救急担当医によってなされており、必要に応じて本人にフィードバックされるシステムとなっている。
4 わが国MC体制構築の現状と課題 救急救命士誕生前後からのわが国の歴史を振り返ると、MCという病院前救護の基盤を置き去りにしたまま、心肺停止患者に対する救急救命処置を進めてきた経緯がある。そのため、MCを支える医療施設や医療人材というバックグラウンドの整備が遅れ、MCの実践基盤となる理論的裏付けも不十分といわざるを得ない。近年、MC体制の構築は全国レベルで急速に進展している。しかしながら間接的MCの根幹である事後検証については、体制整備が最も遅れている。2003年10月、厚生労働省が全国のMC協議会に対して、MC体制に関するアンケート調査を実施した。それによると、256の地域MC協議会別に事後検証体制の構築状況を見ると、「構築済み」が214地域(83%)、「未構築」が29地域(11%)、「その他」が4地域(2%)、「回答なし」が9地域(4%)であり、各地域のMC協議会において事後検証体制構築が進んでいることを窺わせた。
しかしながら、2003年4月1日から9月30日までの6ヶ月間における事後検証件数は表6-3のとおり、ゼロというMC協議会が106地域(41%)であり、6ヶ月間に100件未満の協議会が実に82%を占めた(文献5)。
地域MC協議会単位で1日1件の事後検証を実施しても、6ヶ月間には180件を超える事後検証件数となることから、これらの値は地域において事後検証システムが未だ十分機能していない事を示しているといえよう。勿論、実際には事後検証を実施しているけれども、その数値を地域MC協議会として、或いは協議会の会長が把握していないために、このような調査結果が得られた可能性も否定できない。しかしMC体制の根幹を成す事後検証の実体を地域MC協議会として把握していないのであれば、それ自体大きな問題である。
すなわち、各地域MC協議会において事後検証体制を構築したといっても、現時点では未だ実体の伴わない事後検証体制の地域が相当あることは憂慮すべきである。また、東京消防庁の事後検証数は年間1,000件以上に達しているが、検証の対象は心肺停止傷病者に限られている。MCの目的は、心肺停止の予防も含めたプレホスピタルケアの質の向上であることから、心肺停止事例のみならず、重症患者に関しても事後検証の対象とすることが救急医療を充実させるワンステップといえるだろう。
表6-3 MC協議会別の事後検証実績
事後検証件数 MC協議会数 構成比 構成比累計 0 106 41.4% 41.4% 1~9 35 13.7% 55.1% 10~49 47 18.4% 73.4% 50~99 21 8.2% 81.6% 100~499 41 16.0% 97.7% 500~999 3 1.2% 98.8% 1000~ 3 1.2% 100.0% 合 計 256 100.0% ―― [注]平成15年4~9月の半年間
[資料]厚生労働省、平成15年10月
5 MC体制構築のプロセス ヘリコプターを活用した救急医療では、ドクターヘリ事業で明らかになったように、医師がヘリコプターに搭乗し、救急現場に飛んで初期治療に当たることにより、重症患者の救命率向上や後遺症の軽減をはかることが可能である(文献6)。しかしながらドクターヘリは2005年3月25日現在、7県に8機が配備されているだけで、全国的に見れば未だ一部の地域で実用化したに過ぎない。全国を広くカバーし、どの地域住民も等しく高いレベルの救急医療を享受できるシステムの構築を考えた場合、現在、全国で68機ある消防・防災ヘリの有効活用は喫緊の課題である。
消防・防災ヘリを活用する場合、必ずしも医師はヘリに搭乗せず、航空隊員や救急隊員だけで出動することが多い。この場合、救急患者への医療処置にはさまざまな制約があり、現状では十分な初期治療が期待できない。したがって救急救命士等が医師に代わって現場で応急処置をおこなうにあたり、医療の質を確保してより良いプレホスピタルケアを国民に提供することができるよう、彼らの施行可能な処置について検討を進める必要がある。
その上で、許容できるものから処置範囲を徐々に拡大し、現場で提供される医療の質を高めて行かなければならない。そのためには各消防防災航空隊においてMC協議会を設置し、MC担当医を定めなければならない。MC協議会は航空救急業務に必要なプロトコールを作成すると共に、プロトコールに準拠した活動が可能となるよう、スタッフを教育するためのプログラムも準備しなければならない。
MCにはプロトコールの策定、教育・研修、直接的な指示または指導・助言、事後検証などの項目が含まれるが、それぞれは他との関係がない独立した存在ではない。これらのMC項目は密接に関わりあって初めて効果を発揮するプレホスピタルケアの質の向上活動である。すなわちMC担当医が救急隊員のための現場活動指針を作成し(Plan)、この指針通りに現場活動が実践できるよう救急隊員に必要な教育や研修を行い、救急隊員が現場で困った時にはリアルタイムに指示や助言等を与え(Do)、その活動を事後に検証して問題点を抽出し(Check)、個々の救急隊員にフィードバックして個人個人の資質向上をはかると共に、プロトコール等を地域に適合したものに改編する(Act)ことが肝要である。
このPDCAからなる一連の作業は下図に示すとおりだが、これを通じて、プレホスピタルケアにおける医療の質の管理を行うことこそMCの根幹であることを忘れてはならない。
したがって、消防・防災ヘリに関わるMC体制構築のプロセスは、各消防防災航空隊、あるいは都道府県や政令指定都市内にMC協議会を設置し、ヘリコプター搭乗要員のためのプロトコールを策定し、そのプロトコールに則って要員の教育・訓練を行い、ヘリコプター救急業務に際して何時でも必要な指導・助言を得られるよう、オンラインMC担当医を確保することである。
その上で、ヘリコプター救急活動に関わる事後検証とフィードバックを円滑におこなうために、検証医を確保することである。これらの体制を整備するために必要な予算が、併せて確保されなければならないことはいうまでもない。ヘリコプター救急業務の高度化はMC体制の構築を抜きにして論ずることはできない。したがって地域の消防防災ヘリ関係者とMC担当医は今こそ連携し、実効ある体制を構築しなければならない。
一方、ドクターヘリ運航の拡大を阻んでいる費用負担の問題が保険適用などの措置をとることによって解決された場合、ドクターヘリ事業に参加を希望する医療機関を全国的に募ることになろう。このとき、全ての医療機関でヘリコプター搭乗医師が確保できれば問題はないが、できない場合に備えて、救急救命士にさらに高度の教育訓練をほどこし、アメリカなみのパラメディックに育て上げていくことは必要なプログラムである。それと並んで、看護師を養成して、アメリカのようなフライト・ナースに仕立て、現場に配置していくことも一考に値する。看護師は常時医師の傍らで医療行為の補助をしているのであるから、救急現場で医師の代わりをつとめる者に育て上げるのにふさわしい資質を持っていると思われる。
6 救急業務高度化のための訓練計画 都道府県では、地域ごとにMC協議会を設置し、MCの管理運営を進めていくのが原則である。プロトコール(救急現場活動指針)の作成や救急救命士の教育訓練も、地域のMC協議会においておこなう。しかし、厚生労働省のアンケート調査の結果でもわかるように、国内のMC体制は、一部地域を除けばまだ不完全であるし、足並みも揃っていない。こうした事態を受け、総務省消防庁は2004年3月、救急振興財団の中に設置された重症度・緊急度判断基準作成委員会でプロトコールのひな型を作成し、全国の消防本部に示した(文献8)。
表6-4 全26項目の処置に関するプロトコール
外傷、熱傷、中毒、意識障害、胸痛、呼吸困難、消化管出血、腹痛、周産期、乳幼児、心肺停止、ショック、気道閉塞・異物、頭痛、麻痺、痙攣、鼻出血、性器出血、偶発性低体温症、熱中症、溺水、在宅医療処置継続中の傷病者に対する処置、めまい、動悸・不整脈、腰背部痛、救急活動全般の活動基準 [注]地域MC協議会で改編可能
[資料]救急搬送における重症度・緊急度判断基準作成委員会、2004年3月公表
全国の消防防災航空隊では、このプロトコールを参考にして適切なMC体制を構築する一方、地域の医師の協力を仰ぎ、プロトコールにしたがって救急救命士の教育・訓練を行なわなければならない。この際、教育・訓練計画の内容は、基本部分では全国統一のプログラムであるとしても、細部に関しては、地域の医療提供体制やMC担当医師の考えによって多少異なる場合がある。
救急現場で医師の代わりに救急業務にあたる救急救命士には、先進諸国のような本格的な医療処置技能の修得が必要であるとして、除細動、気管挿管、薬剤投与などの教育プログラムが現在進行中である(文献9)。
わが国ではこれまで、心肺停止患者に対する救急救命士の処置範囲拡大を目的としてMC体制を構築してきた経緯があるため、除細動、気管挿管、薬剤投与が処置拡大の最優先課題とされてきた。しかしながら、MC体制の基本は医療としてのプレホスピタルケアに医師が責任を持つことであり、その対象は単に心肺停止患者に止まらず、病院前救護全般に渡るものであることは言うまでもない。特に、心肺停止状態には至っていないけれども、適切な現場での対応を行わなければ、死亡ないしは重度後遺症の発生を回避することができないと考えられる重症患者に対する処置、たとえば輸液や胸腔穿刺は、今後の最優先課題と位置付けられるべきであろう。
また、札幌(文献10)や船橋(文献11)の経験からも明らかなように、消防防災ヘリコプターに搭乗する要員への技能教育は、ドクターヘリ基地病院である救命救急センターに付設するワークステーションで行うなどにより、十分な教育効果をあげることが可能である。
【メディカル・コントロール参考文献】
1)厚生省:「病院前救護体制のあり方に関する検討会」報告書、2000.5
2) National Association of EMS Physicians, National Highway Traffic Safety Administration, Maternal and Child Health Bureau: National standard curriculum for medical direction, Washington, DC 1998, The Administration.
3)松本 尚、益子邦洋:検証作業のあり方、救急医学、25:1823-1827、2001.
4) HEM-Net調査報告書:米国ヘリコプター救急の現況と日本のあり方、2003.9
5)未だ実体が伴っていないメディカル・コントロール(MC)体制、アスカ21、第50号、P10~11、2004
6)益子邦洋:平成15年度厚生労働科学研究費補助金「ドクターヘリの実態と評価に関する研究」報告書、2004.3
7)益子邦洋、松本 尚:総合的地域メディカル・コントロール体制の実際、救急医療ジャーナル、12(3):11-14、2004
8)救急振興財団:救急搬送における重症度・緊急度判断基準作成委員会報告書、2004.3
9)厚生労働省、総務省消防庁:救急救命士の業務のあり方等に関する検討会報告書、2002.12
10)牧瀬 博、松原 泉:市立札幌病院におけるメデイカル・コントロールの現状、救急医学、25:1783-1787、2001.
11)金 弘:ドクターカー運用とメデイカル・コントロール;船橋市の現状から、救急医学、25:1793-1797、2001.
12)HEM-Net協力病院
第7章 安全運航の確保と運航環境の整備 「救急ヘリ」は、救急患者の救命という使命に鑑み、その運航にあたっては安全の確保が最優先でなければならない。直接の運航従事者のみならず、これに関係するすべての人々が、ヘリコプターの救命救急活動は常に危険と隣り合わせの状況下でおこなわれていることを認識し、対処することが重要である。先進欧米諸国の事例では、年間1日の休みもなく、24時間の待機出動体制が取られている場合が多く、それだけに救急機の事故も毎年数例が報告されている。事故の原因は機材故障、気象状態の悪化などのほかに、最も多いのはヒューマン・ファクター、すなわち人的要因というのが調査分析の結果である。
このことから直接的にはもちろん、間接的にも救急医療活動にかかわる人々の間の連携と意思疎通を常に維持し、確保するための管理および組織体制の構築を促進する必要性が求められる。特にわが国のような縦割り行政下の救急医療体制の中でヘリコプターが運用される場合、これらの壁は極力低くし、取り除かれなければならない。
近年は航空機の乗員間の意思疎通をはかるためCRM(Cockpit Resource Management)と呼ばれる訓練を取り入れ、事故防止に努める航空会社が増えている。この手法は機長と副操縦士の間の円滑な意思疎通にはじまり、客室乗務員を含めたCRM(Crew Resource Management)や、企業全体を合わせたCRM(Corporate Resource Management)に発展してきた。それを救急ヘリコプターの運航に当てはめるならば、運航従事者ばかりでなく、同乗する医療スタッフとの意思疎通はもとより、消防、警察、行政、住民などを含む地域社会(Community Resources Management)、あるいは法規の制定にかかわる国(Country Resources Management)にまで拡大して考えるべきであろう。
これら安全の確保にかかわる関係者は次表のように整理することができる。
表7-1 安全確保のためのCRMの拡大
CRM 関係者 Cockpit Resource Management 機長、副操縦士 Crew Resource Management 整備士、医師、看護師、救急救命士 Corporate Resource Management 運航管理者、運航会社、病院 Community Resource Management 消防、警察、自治体、学校、住民 Country Resource Management 国土交通省(航空、道路)、厚生労働省、総務省総合通信基盤局その他の関係省庁 [資料]西川渉「ヘリコプター救急の安全」、日本航空新聞、2005年1月20日付
航空事故の多くがパイロット・エラーに起因するといっても、その背景にはエラーを誘発する要因が航空会社内はもとより、病院や地域社会、あるいは国の制度にまで潜んでいることがある。そのことを、われわれは忘れてはならない。
幸いにも現在、わが国では救急医療活動中のヘリコプターによる2次災害は起こっていない。しかし事故発生の可能性は常に秘められており、安全運航を確保、維持して行くための条件整備は不断に推進してゆく必要がある。
以下、「救急ヘリ」の典型であるドクターヘリの運航にかかわる問題点を見てゆくこととする。
1 運航の制約の問題 ドクターヘリについては、すでに航空法第81条の2(捜索又は救助のための特例)が適用され、これにより航空法第79条(飛行場外の着陸禁止)、第80条(原子力発電所など特定施設の上空飛行禁止)、第81条(最低安全高度以下の飛行禁止)の適用が除外されており、通常のヘリコプター運航にくらべれば、大幅な制約緩和が実現している。具体的には、飛行場以外の場所では航空機の離着陸を禁止するという原則が航空法によって定められている。ただし、警察、消防など公的機関の航空機が捜索または救助を行う場合は例外的に現場着陸を認め、また飛行禁止区域の上空や低空の飛行を認めることとなっており、その特例の中にドクターヘリを加えたものである(法規条文の詳細については参考資料8を参照)。
しかし現在なお、飛行場外の離着陸基準、その他の運航基準、飛行計画の通報、ドクターヘリ従事者の要件、病院間搬送、飛行場外離着陸場における夜間照明設備の設置条件、ドクターヘリと消防・防災ヘリとの通信手段など、まだまだ検討さるべき問題点が多く、ドクターヘリの運航に適した制約の見直しが急務である。
1-1 場外離着陸場に関する問題 (1)臨時離着陸場ドクターヘリの運航は航空運送事業として行なわれる。そのため自家用機として運航される消防・防災ヘリと異なり、航空法第79条但し書きの許可を受けようとする場合は、航空局の「運航規程審査要領細則」に準拠し、場所の広さや空域の基準を航空会社の運航規程に定め、それに適合した場所でしか離着陸できない。
わずかに「防災用臨時離着陸場基準」の適用は認められているものの、基準の適合については事前の地上確認が必要とされているなど、消防・防災ヘリとの連携救助活動が制約されることがまま発生しているのが実情である。
(2)旧建設省指導の緊急離着陸場
高層建築物および3次救急医療機関を初めとする高度医療施設には、旧建設省の指導により屋上緊急離着陸場が設置されている。ところが、その設置基準は航空法第79条但し書きの許可基準と異なる場合があるため、ドクターヘリには離着陸の許可が出ず、患者搬送のできない場合がある。つまり同型のヘリコプターであっても消防・防災ヘリは離着陸が許可され、ドクターヘリは許可されないという齟齬が生じており、この点は是正さるべきである。
(3)高速道路上への離着陸
ドクターヘリの出動回数が増加するにつれ、高速道路での車両事故に対する出動の要望が増えている。しかし防災用臨時離着陸基準を適用しても、道路の幅員、照明、ガードレール、中央分離帯などの物件が障害となり、基準に適した場所を確保することが困難である。現実は、しかし、ドクターヘリの性能や周囲の条件により、安全に離着陸できるところも少なくない。
欧米先進諸国では、高速道路への直接着陸は日常的に実施されていることから、わが国でも道路の構造に対応して離着陸できるような安全基準の策定が急務である。
たとえば、先遣の救急隊員や高速警察官などが救急ヘリコプターを降ろすために確保すべき着陸場の広さや空域の基準を別途例示して、自信を持って救急機を誘導できるようにする必要がある。
1-2 運航に係わるその他の問題 ドクターヘリは、先にも述べたように、法規上は一般の航空運送事業と同様に扱われる。そのため、次のような問題が残されており、早急に解決さるべきである。(1)不時着場の確保
航空法第79条但し書きの許可基準に係わる審査要領では、臨時離着陸場の周辺地域および飛行経路沿いには、いつでも不時着可能な場所を確保し設定するよう要求される。しかし救急現場や病院屋上などでの離着陸については、この要件を満足できないところもあり、救急業務遂行上、支障を来たしている。
(2)病院間搬送
航空法から見た病院間搬送にも問題がある。ドクターヘリによる病院間搬送は医療機関からの直接依頼のため、航空法第81条2の適用が受けられず、離着陸する場所については事前に航空法第79条但し書き(臨時離着陸の許可)によって航空局の許可を受けなければならない。
したがって、あらかじめ病院間搬送を想定して臨時離着陸場の許可を取得してある場所は好いが、それ以外の病院へ緊急に患者搬送をしなければならない場合は実施することができず、病院間搬送の妨げとなっている。
この問題は、病院間搬送は救急ではないとの考え方に起因している。しかし、病院間搬送の中には、より高度の医療措置をとることが認められるため、緊急に患者を他の病院に搬送することを一次搬入先の病院の医師が直接要請してくることも多く、事柄の緊急性は現場から病院への患者搬送に劣らず高い場合が多いのが実情である。
したがって病院からの要請も、消防機関からの要請と同等の扱いをすることが望まれる。現状では病院からいったん消防機関に搬送要請を出し、依頼を受けた消防機関から出動要請をしてもらうという形式的な手続きを踏まねばならず、二重の手間となっている。
(3)気象条件
(3-1)最低気象条件
現行の「運航規程審査要領細則」では、航空運送事業であるドクターヘリは視程1,500m以上、雲高300m以上という制限が適用される。視程はともかく、雲高についてはドクターヘリ運航の制約となっており、その緩和が必要である。
また管制圏内の飛行については、有視界気象状態の視程5,000m以上を要求される場合もあり、これもドクターヘリ運航の制約となっている。
(3-2)気象条件の維持
「運航規程審査要領細則」では、目的地の気象状態が到着予定時刻の前後1時間は有視界気象状態が維持されると予想されなければ出発できない。しかし、ドクターヘリの出動飛行時間は、1件あたりほとんどが1時間未満の短時間で終っており、この気象条件はドクターヘリについては緩和が必要である。
(4)飛行計画の通報
航空機は、航空法により飛行前に飛行計画(フライト・プラン)を通報し承認を受けなければならない。飛行計画を変更しようとする時も同様である。一般にドクターヘリは出動要請後2~3分で離陸しているが、その時点では目的地が確定されていないことが多く、確定している場合でも直近への着陸地変更が要請されることは日常的である。
その一方で、ドクターヘリは専用の運航支援体制により常に地上から監視されており、万一の場合の捜索救難に必要な運航監視は十分になされている状態である。したがって飛行計画の提出にかかわる業務の簡略化が可能であり、手続きの簡素化が望まれる。
(5)通信手段と無線局免許
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震では、1995年1月発生の阪神淡路大震災の教訓から、消防・防災機、警察機、自衛隊機、官庁機など、多くのヘリコプターが一斉に出動し、10年前にくらべて目覚しいほどの活動が見られた。
その中にあって、静岡県は順天堂大学伊豆長岡病院に配置されているドクターヘリを現地へ派遣したが、消防救急機関あるいは消防・防災へりとドクターヘリとの相互通信手段が確立されていなかったために、医療関係者、運航関係者の双方からさまざまな問題が指摘されるに至った。
千葉県のドクターヘリには消防救急機関との通信が可能な無線機と救命救急センターとの通信が可能な専用無線機を搭載している。この2種類の無線通信は2004年7月より本格活用され、半径70km圏内での即時通信が可能となった。しかし、無線局の免許人は県毎とされていることから、ヘリコプターに搭載される無線機の周波数も各県毎に免許を受けなければならない。
今後は、前述のように、隣県を越え遠隔県への応援も想定されることから、ドクターヘリ搭載の消防・救急無線機への免許については全国用3波と自治体用7波の合計10波について一括付与する方策を検討する必要がある。
(6)夜間照明設備
現在ドクターヘリは夜間飛行を伴う出動待機体制は取っていない。しかし近い将来、夜間であっても救急治療を必要とする患者のために出動せざるを得ない場面が発生することが予想される。その場合、航空法は臨時離着陸場の夜間照明設備について、照度、色、型式など正規の空港同様の基準を求めている。
しかし、現実には車のヘッドライトなどによる照明、もしくは持ち運び可能な簡易型の照明設備を現場に並べるなどの代替手段が考えられる。ドクターヘリの夜間照明については、形式にとらわれることなく、実質的な検討と準備をしておく必要がある。
2 安全運航の確保 2-1 運航従事者の要件 道府県の保有する防災ヘリコプターの運航は、ほとんどが民間航空会社に委託され、運用されている。この運航委託に際しては、航空会社、派遣操縦士、整備士、運航管理者の資格、経験などについて基準が示されている。たとえば、操縦士は2,000時間以上の飛行経験、該当機種について100~150時間以上、双発回転翼航空機について200時間以上の飛行経験を有するなどの条件だが、この経験を積むためには実働日数に換算して10年近い年月が必要となる。消防・救急ヘリの運航はそのほとんどが不整地や初めての場所への離着陸である。そのため操縦士の経験としては、農薬散布、山岳飛行、洋上飛行なども有効な要素となる。整備士についても該当機種の整備経験5年以上、運航管理者についても所定の経験、資格が求められている。
他方、ドクターヘリの運航従事者の資格、要件については、社団法人全日本航空事業連合会ヘリコプター部会ドクターヘリ分科会がドクターヘリに従事する運航要員(操縦士、整備士、運航管理担当者)のガイドラインを策定した。その資格、経験などの概要は消防・救急ヘリのそれにほぼ準じたものとなっており、操縦士の飛行経験は3,000時間以上、使用機種の飛行経験50時間以上が求められる。また整備士は5年以上の実務経験と3年以上の該当機種または同等以上の機種の実務経験が求められている。
運航会社は必要な運航従事者の養成に計画的に取り組んでおり、人数の面では不足はない。しかし新機種を採用した場合、同乗者を含めた新たな訓練プログラムが必要になるので、飛行時間などについてはドクターヘリ運航経験などを加味した工夫が必要である。
現在のところ各運航会社は、上述のガイドラインに基づいて操縦士、整備士、運航管理担当者を選任している。合わせて日本航空医療学会のドクターヘリ講習会に参加させ、救急医療に関する基本的な知識を習得させている。またリカレント訓練も適時実行し、防災航空隊との共同訓練も実施している。
2-2 医療従事者の要件 ドクターヘリの業務従事者に対する基礎的な研修は、第2章で述べたとおり、日本航空医療学会によって「ドクターヘリ講習会」が行われている。その一方、全日本航空事業連合会ヘリコプター部会のドクターヘリ分科会では、国土交通省の安全担当官を交えた勉強会をスタートさせ、ドクターヘリを含む救急ヘリコプターに搭乗勤務する医療従事者の習得課目を策定した。その内容は座学4時間(ヘリコプターの基礎、ドクターヘリ、緊急連絡体制、危険物など)、実機訓練2時間(搭載機器の取り扱い、機外の対処、機内の対処など)となっている。
3 高速道路への着陸問題 3-1 現 状 ヘリコプター救急はドイツでもアメリカでも、交通事故の死者を減らすことが発端であった。当初はヘリコプター出動のほとんどが交通事故の現場だったが、近年はそれ以外の急病出動も増えたため、全体の3分の1程度になっている。それでも交通事故におけるヘリコプター救急の重要性は変わらない。しかるに、日本ではドクターヘリの発足以来、高速道路に着陸した例は5本の指に足りない。「二次災害」を恐れる余り、これが認められないためである。
たとえば、2004年5月27日、静岡県三ヶ日付近の東名高速道路でスピードを上げたワゴン車がパンクして横転、7人の死傷者が出た。このとき聖隷三方原病院のドクターヘリが現場へ飛んだものの、着陸許可が出ないまま上空で10分間のホールド飛行をさせられた。そののち付近の小学校グラウンドに着陸、そこから医師が救急車で現場へ走る結果となった。
同様な例は2003年6月23日、愛知県豊川市付近の東名高速道路で発生した多重玉突き事故でも見られた。このときは愛知医大と三方原病院のドクターヘリ2機が飛んだ。しかし瀕死の怪我人を前にして7~10分の上空待機を強いられたのち、許可が出ないまま道路外の空き地に着陸せざるを得なかった。負傷者は担架にのせられ、土手を降りて長いあぜ道をわたり、ヘリコプターのところまで運ばれた。
高速道路はそれ自体、長大な滑走路ともみなし得る。欧米諸国では日常的におこなわれている路上着陸が日本で認められないのは大きな問題と言わざるを得ない。
3-2 4省庁の中間とりまとめ 他方、2000年6月、警察庁、消防庁、厚生労働省医政局、国土交通省道路局、および道路公団は「高速道路におけるヘリコプターの活用に関する検討会」を発足させた。その結果は2002年12月、「中間的とりまとめ」として公表されたが、二次災害を懸念する余りか、4項目にわたる非現実的な条件が付され、2年が経過した現在、この「とりまとめ」に基づく救急業務は1度も実行されたことがない。条件の内容は省くが、総論賛成、各論反対という典型例であると言わざるを得ない。こうした状況の中で、高速道路への緊急着陸を現実のものとするには、着陸可能な地点をあらかじめ調査し、地図上に表示しておくといった方法が考えられる。たとえば道路を100m区間ごとに区切って、着陸の可否を色分けしておけばよいであろう。そのための調査の方法は、車を走らせて写真やビデオ撮影によって障害物を特定してゆく。あるいは人工衛星によるGIS(地理情報システム)技術を使って障害物の有無を判定し、自動的に着陸の可否を色分けしてゆくといったことも考えられる。
こうして完成した「緊急ヘリコプター着陸地図」を、ヘリコプター運航者を初め、病院、警察、消防、道路公団などでそれぞれ保有し、共通の認識を持っておけば、とっさの緊急事態にも迅速な対応が可能となるであろう。
3-3 日本道路公団の動き 日本道路公団では救急ヘリコプターの離着陸に関する新しい動きを始めている。もともと公団では、平成13年度からパーキングエリアやサービスエリアに救急活動支援のための臨時離着陸場を整備してきた。普段は園地として確保している場所を、救急隊から要請があればヘリコプターの離着陸に使用できる構造にするもので、近隣の救急病院がおおむね50km以内に存在し、ドクターヘリを導入している地域から優先的に整備している。2004年10月末現在、その設置場所は全国31ヵ所になり、運用実績としては東名高速道路の浜名湖サービスエリアで聖隷三方原病院のドクターヘリが2回使用したことがある。
しかし、交通事故が救急ヘリパッド付近で起こればともかく、実際は全国7,000km以上の高速道路のどこで起こるかもしれず、実際問題としては余り役に立たないという批判があった。現に世界中どこでも、こうした方式を取っている国はなく、救急ヘリコプターは事故現場近くの空き地に着陸するか、それがないときは本線上に着陸するのが普通のことである。
公団内部では、新たに就任した近藤剛総裁が「ドクターヘリの高速道路への着陸は真剣に取り組まなければならない」(航空専門紙とのインタビュー談話)という考え方を示し、それを受けて「ヘリコプターを活用した救命救急活動支援マニュアル」の作成作業が始まった。
12月9日には、公団は愛知県豊田市の開通直前の高速道路で、事故車輌からけが人を救出し、ドクターヘリで加療搬送するという想定のもとに大規模な離着陸訓練をおこなった。現地には多数の国会議員も視察に訪れた。訓練終了後、近藤総裁はヘリコプターの高速道着陸について、「本線上でも着陸可能なところであれば、是非実施したい。現在すでに、その必要が生じたときは実施できるところまで来ており、今日の演習がこれを証明した」と述べ、ヘリコプターを高速道の本線上で積極的に活用していく方針を語った。
以上のような高速道路着陸問題の経緯に関しては、本書巻末の参考資料9を参照。
【参考文献】
1)「動き始めたドクターヘリ推進事業」救急医療ジャーナル、JUNE 2002
2)「ドクターヘリの運航基準に関する調査報告書」(財)航空輸送技術研究センター
3)「運航会社及び運航従事者の経験資格等の詳細ガイドライン」(社)全日本航空事業連合会ヘリコプター部会ドクターヘリ分科会
4)「高速道路におけるヘリコプターの活用に関する検討について」警察庁・総務省消防庁・厚生労働省・国土交通省、2002年12月18日
5)「ドクターヘリの高速道路着陸に新たな動き」、HEM-Net資料
第8章 「救急ヘリ」に関する認識レベルの向上 1 国民的コンセンサスの醸成 「救急ヘリ」の先進国について調査すると、そのシステムが整備される前提として、救急活動にヘリコプターを活用することの有効性に関するコンセンサスが国民の間にでき出来上がっていることがわかる。残念ながら、日本にはまだ、そうしたコンセンサスはない。というより、日本国民の「救急ヘリ」の重要性と必要性に関する認識は驚くほど低い。一般の国民は、救急活動は救急車で行うものと思い込んでいるようだ。もちろん山岳遭難の場合や離島、山間僻地ではヘリコプターが活躍していることは知っている。ただそれは、そういう場合または場所では、救急車が使えないからヘリが出ているのであって、救急車が使えればそれでよいというのが一般的な受けとめ方であるといえよう。
まして諸外国においては、「救急ヘリ」の仕組みが発達しており、日本が先進国と呼ばれる国のなかで、ほとんど唯一、「救急ヘリ」の仕組みが普及していない国であるという事実については、まったくというほど知らないのが実状である。
これまで見てきたように、「救急ヘリ」は、高い医療効果と経済効果を持つものであり、農村部でも都市部でも、全国どこでも、救急車と「救急ヘリ」の運用を組み合わせて、最適の救急医療体制を築く必要がある、そういう時代が来ているのである。
そのことを、どうやって一般国民に認識していただくか。おそらく、そのためのベストの方策は、「救急ヘリ」をどんどん飛ばすということである。どんどん飛ばして実績をあげ、「こういう救命効果が出た」、「こういう人が救急ヘリだから助けられた」といった具体的な事例を国民に示すのが、最も説得力のある方策であろう。ただ、これは時間のかかる話である。
今のわれわれとしては、諸外国の例や各地のドクターヘリ、消防・防災ヘリの活躍ぶりを紹介しながら、すこしづつ救急ヘリの重要性と必要性を国民に訴えていく以外にない。われわれHEM-Netは、当法人の活動の大きな柱として、「救急ヘリ」の重要性と必要性に関する広報・啓発活動を掲げ、そのための事業を展開していくこととしている。
2 救急医の意識改革と協力病院ネットワークの構築 実は、「救急ヘリ」の重要性と必要性に関する認識の低さは、なにも国民一般について言えるだけでなく、医師、消防士を含む救急業務関係者の間においてすら、見られる現象である。こうした現象は、一刻も早く是正されるべきであって、そのためにも広く国民の世論を喚起し、全体として、医師、救急業務関係者に「人の命を救うためには、あらゆる手段を尽くす」という当然の責務を想起させる雰囲気を醸成することが必要であると思われる。特に、ここで指摘しなければならないのは、救急医の間においても、ヘリコプターの導入と整備に関する意欲と理解に温度差があるという点である。
たとえば、救急医のなかには救急医療を2次医療圏の中で完結させようとする視点から、新型の救命救急センターの開設に重点を置くあまり、「救急ヘリ」の導入は必要でないという考えに立つ者もいるといわれる。「救急ヘリ」の導入と新型救命救急センターの開設のどちらを優先するかということを、一般論として議論すれば、両者は相反する関係に立つことになるだろう。
しかし、そのような一般論は、ほとんど意味をなさない。事柄は、ある地域では新型救命救急センターのほうが優先されるべきであり、別の地域では救急ヘリのほうが間尺にあうということになるに過ぎない。要するに、両者は各地域に密着して具体的に見れば「棲み分け」の問題であって、一般論として二者択一的に議論するのは当を得ていないことであると言えよう。
そうした点を踏まえて、救急医の間で、「救急ヘリ」の導入と整備を地域ごとに整理して、コンセンサスを得ておく必要がある。
また、2次医療圏で考えて新型救命救急センターが必要ということになっても、3次医療圏で考えれば「救急ヘリ」が必要であり、それは、むしろ2次医療圏における救命救急センターの活動をバックアップするものになるという認識もしっかりと持つべきであろう。その点での棲み分けの合意も得ておかなければならない。
また、消防・防災関係者だけでなく、医師のなかにも、まだ「救急活動は救急車で」と考えたり、「医師は現場に行くものではなく、病院にいて患者を待つべきものである」と考えたりするに止まっていて、「救急ヘリ」の重要性と必要性の認識に乏しいものがいると言われる。そうした者に対する啓発活動も必要になっている。
日本救急医学会は、平成16年の年次総会で、ヘリコプター救急体制の必要性と重要性に関する初めての提言をまとめて発表した。日本航空医療学会からも平成12年に引続いて、本年1月同様の提言がなされている。
これは、一般国民の啓発のために、大いに意義があるとともに医師の意識向上のためにも、大きな効果を持つものと思われる。
以上のような点を踏まえ、「救急ヘリ」の全国展開を支えるインフラとして、「救急ヘリ」の重要性と必要性をよく認識し、当該地域において「救急ヘリ」の運航が開始された場合には、進んで医師の提供など積極的な協力を惜しまない病院を、今のうちから、確保しておくことは重要なことである。
そのため、HEM-Netでは
- ヘリ搬送患者を受け入れた実績があって今後とも受け入れ継続の意思を有する病院
- これまで、ヘリ搬送患者を受け入れた実績はないが、将来ヘリ搬送患者を受け入れる必要が出てきた時は他の業務に支障のない限り受け入れる意思を有する病院
- HEM-Netの活動を理解して一定の協力をしていただける病院
という要件を満たす病院を「協力病院」として登録し、そのネットワークを拡大することによって、「救急ヘリ」の全国的普及の足がかりをつくっていきたいと考えている。
現在までに登録いただいた病院は、全国で79病院になったところである。今後とも、この拡大をはかっていきたい。
3 大災害発生時のヘリ活用 平成16年10月23日、新潟県中越地方を襲った大地震は、改めて常に自然大災害の危機にさらされている日本の脆弱さを浮き彫りにした。阪神淡路大震災の教訓が生かされ、各種の災害救助活動は、10年前より格段の順調さで進められたと言われている。自衛隊等のヘリが大活躍をし、静岡県の順天堂大学伊豆長岡病院のドクターヘリも出動した。こうした活躍により、大災害時における救急救命のためにヘリを活用することの有為性は、かなり国民の認識を得たと思われるが、まだまだ不十分だったようである。
首都圏を襲う大地震の発生の危機が現実のものとなるなかで、大災害時における大規模救急体制の整備が叫ばれている。その場合、ヘリコプターの活用は最大のポイントになろう。しかし、大災害時に順調にヘリが活用できるためには、全国の医師を含む救急業務関係者の間に、ヘリを活用しようという着想が直ちに生まれ、そのためのノウハウが確立していなければ、どうにもならない。そうした着想やノウハウは、日常救急ヘリの運航に慣熟していてはじめてでてくるものである。常日頃やっていないことが非常時にできるわけがないからである。
「救急ヘリ」の日常的普及の重要性と必要性は、ここにも存在するのである。
4 『「救急ヘリ」整備緊急措置法』(仮称)の制定 日本には、救急活動の基本を定める単一の法律はない。ドイツには、それがある。ドイツの救急法は、各州ごとに制定され、主務官庁、救急手段、救急設備、出動要件、健康保険の適用などが詳細に規定されている。日本の場合は、消防法のなかに、4条項の救急関連規定があるに過ぎない。
人の命を大切にし、その救命のためには全力を尽くすという国家意思を明確にするためにも、「救急法」ないし「救急基本法」を制定することは、意義深いことである。そして、そのなかに「救急ヘリ」をきちんと位置付けることは、「救急ヘリ」の重要性と必要性に関する国民の理解を高める上で、大きな効果を発揮することになろう。
ただ、消防と救急を一体的に扱うことを原則とするわが国の法制からすると、救急のみを単一の法に切り分けて規定していくことには、かなりの無理があるのも事実である。また「救急ヘリ」は、前述のとおり一般の救急車とは趣きを異にするものであるから、救急ヘリを救急全体のなかにどう位置付けるかという問題は、救急全体の議論を整理したあとでないと、なかなかむずかしい。
そこで、われわれとしては、当面、「救急ヘリ」の整備を総合的かつ緊急に推進するための基本的な事項を定める法律として『「救急ヘリ」整備緊急措置法』(仮称)を制定し、国民世論を喚起しながら、救急ヘリの全国的普及をはかっていくのが現実的な対処であると考える。
これまで、第1章から第8章にわたり、世界のヘリコプター救急の実情を紹介し、わが国のヘリコプター救急の現状と課題について述べてきた。
ヘリコプターの活用によって、救急患者の救命率が大幅に向上することは、最早、疑いを入れないところである。われわれHEM-Netは、「避けられ得る死」を回避するため、ヘリコプター救急の全国的な普及を図ることが急務であると考え、以下のとおり提言する。
1.ヘリコプター救急のあり様は、都道府県ごとに検討し、決定すること。
われわれが、全国的に配備すべきであると考えるのは、医師等が同乗して速やかに救急現場に赴き早期に治療を開始するとともに、救急患者を迅速に最適の医療機関に搬送する本格的な救急専用ヘリコプター(以下、「救急ヘリ」という。)である。
そのような救急ヘリシステムの構築を、消防・防災ヘリ等の救急運用によって行うのか、ドクターへリの導入によって行うのか、あるいは、その両者の組み合わせによって行うのか、構築のあり様は、都道府県ごとに検討し、決定されるべきことである。
各都道府県は、関係機関、学識者等による救急ヘリ配備検討委員会を設け、当該都道府県の実情に最も合った救急ヘリのシステムを検討し、構築すべきである。
2.救急ヘリ運航費用を医療保険給付の対象に加え、費用負担の分散を図ること。
現在、ドクターヘリの導入促進を妨げている最大の理由は、費用負担の問題であり、その全額を公費で賄う現行の方式に再検討を加えることが求められている。
救急ヘリは、救急車と異なり、医師が救急現場に赴いて迅速な医療行為を開始するところにその特徴を有する、ひとつの医療サービスの手段である。したがって、その運航費用を医療保険給付の対象に加え、自賠責保険、労災保険を含む保険制度のなかで、負担を分担していく仕組みを検討すべきである。
なお、運航費用の負担問題は、各都道府県の救急ヘリシステムの構築が、その財政力の如何により左右されることのないよう、国のレベルで全国斉一に検討されるべきである。
3.メディカル・コントロール体制の強化を図ること。
救急ヘリの普及が進むに伴い、救急現場に駆けつけることのできる医師の確保が困難になる事態を想定して、救急救命士の医療能力の向上を図り、救急救命士による医療行為の範囲を拡大するため、メディカル・コントロール体制を格段と強化すべきである。
4.救急ヘリの高速道路上への着陸条件を現実的かつ明確なものにすること。
高速道路上における交通事故負傷者等に対するヘリコプター救急を円滑に行うため、高速道路の一定区間ごとにヘリコプターの離着陸の可否を実地に調査するなどして、救急ヘリの高速道路上への着陸条件を現実的かつ明確に設定すべきである。
5.救急ヘリの運航に関する規制の緩和を更に進めること。
救急ヘリの救命率向上効果が多大であることに鑑み、できる限り救急需要に応じた救急ヘリの活動を可能にするため、病院間搬送にも航空法第81条の2を適用するなど、救急ヘリの運航に関する規制を必要に応じ更に緩和すべきである。
6.「救急ヘリ整備緊急措置法」を制定すること。
国は救急ヘリの重要性と必要性を明確に認識していることを示し、国民世論を喚起するとともに、救急ヘリシステムの構築のために、国および関係機関が取るべき措置を定めて救急ヘリの全国的な普及を促進するため、「救急ヘリ整備緊急措置法」を制定すべきである。