平成13年度から本格的実施となった厚生労働省のドクターヘリ事業は、平成17年度に全国10箇所で出動件数4,098件、診療人数3,904人となり、出動件数は平成16年度に比べ18%増加した(図1)。ドクターヘリ事業が我が国の救急医療体制に必須の基盤として徐々に定着しつつあることが伺える。
今般、これまでの活動が国民に広く認められた結果、自民、公明の与党は、ドクターヘリの全国整備に向けた特別措置法案をまとめた。現在、野党との協議を進めており、平成19年1月から開催される通常国会中には、可決・成立することが期待されている。法案では、救急医療用ヘリコプター(以下、救急ヘリ)を次のように定義している。
救急医療に必要な機器を装備し、及び医薬品を搭載していること。
救急医療に係る高度の医療を提供している病院により、その敷地内その他の当該病院の医師が直ちに搭乗することができる場所に配備されていること。
そして、厚生労働大臣は医療法の基本方針に救急ヘリを用いた救急医療の確保に関する事項を定め、都道府県は医療計画に救急ヘリ事業の目標や病院の要件、更には関係者の連携について定め、広域運用に際しては隣接する都道府県と調整する事となっている。
運営費用の一部はこれまで通り、国と都道府県が補助するほか、民間寄付による基金からの助成も盛り込まれている。但し、健康保険や労災保険を適用することについては今回は見送られ、平成19年4月1日の施行から3年を目途として検討する事となっている。法案が成立すると、各都道府県は国の定める基本方針に則した形で救急ヘリ導入のための医療計画を定めなければならなくなり、これまでのように、「予算が確保できないのでドクターヘリ事業を実施できない」といった言い訳は通用しなくなる。わが国にも欧米先進諸国同様、救急ヘリが救命救急医療に必須の社会基盤として位置付けられる時代が到来したと言えよう。
筆者は平成11年12月より、特定非営利活動法人救急ヘリ病院ネットワーク(HEM-Net)の一員として、学術集会やシンポジウムでの発表やホームページを通じて、ヘリコプター救急体制の重要性や必要性について社会に訴え続けてきた。その立場からすれば、今回、救急医療用ヘリコプターの整備に関する国の基本的な指針等を定める法案要綱が示されたことは画期的なことであり、大いに歓迎している。この要綱に基く法律が一日も早く成立して、救急ヘリが全国配備され、従来の医療体制では救命できなかった多くの命が救われ、後遺症の軽減が図られることを期待している。
しかしながら、本法案では以下に述べる2点の問題が未解決のまま残されていることから、法律制定後には出来るだけ早い時期にこれらの問題を解決する必要があると考えている。
その第1はヘリコプター運航費用の問題である。HEM-Netでは、ドクターヘリの整備の促進を阻む最大の要因は、その運航費用の負担問題であると認識している。現在、ドクターヘリは、国と都道府県の折半による全額公費負担で運航されているが、この都道府県負担が、財政難の折から、財政規模の小さい県ほど困難で、ドクターヘリの整備を妨げているというのがまぎれもない現実なのである。事実、ドクターヘリが既に配備されているのは、和歌山県を唯一の例外として、すべて財政規模の大きい道県である。ドクターヘリの整備が、他にも増して必要だと思われる東北、北陸、山陰、四国の各地方には、未だ一機も配備されていない。
現在の仕組みで、公費(税金)だけを使ってドクターヘリを整備しようとする限り、ドクターヘリの整備はなかなか進まないし、進んだとしても、財政規模の小さい県の整備は後回しになり、救うべき命に地方格差が拡大するおそれがある。我々は、今、発想を転換して、運航費用の負担方式を考え直すべきであると考えている。
この問題の解決策を考えた場合、ある意味で簡単なのは、フランスの様に運航費用を全額国庫負担とすることである。全額国費とすれば、費用負担の面での地方格差は出ようがない。しかしこの方式は「地方で出来る事は地方で」とする時代の流れに逆行するものであり、取るべきでないと考えている。それよりも、都道府県の負担額がその財政規模に応じたものになるよう国が調整する一方で、国と都道府県による公費負担の仕組みに加えて、ドクターヘリ運用の受益者である各種社会保険の保険者・被保険者にも応分の負担を求めることが必要であると考えている。
即ち、ドイツ、スイス、アメリカと同様、運航費用を保険給付の対象にすること、各種団体・個人からの寄付を募り運航費用の一部を賄うこと、を柱とする、新たな費用負担の仕組みを作らなければならないと考えている。
HEM-Netでは、命の危機に陥っている人を救おうという救急活動は本来的に、社会連帯と共助の精神に則り、官も民も共に参加する公益の場で行われるべきものであると考えている。救急車による患者搬送は、現在、全額公費負担でシステムが整備され、全国的に円滑に業務が遂行されている以上、新たな仕組みを考える必要はないが、救急ヘリの整備と運用は、公費負担だけではうまくいかないのが現状である。そうであるならば、その費用負担の問題は、本来の社会連帯と共助の精神に立ち戻って考え、官も民も共に参加する公益の場において、負担を広く分散しながら、問題の解決を図るべきなのである。
救急ヘリは、患者をより早く搬送するということ以上に、医師を救急現場等に迅速に派遣して、より早期に救急治療を施すことを可能にする機能を有することにおいて、救急活動全体の有効性を決定付ける重要な役割を果たすものである。わが国においては、このような機能を果たす仕組みは、従来、あまり整備されてこなかった。当然のことながら、従来整備されてこなかったものを新たに整備しようとすれば、既存のものではない新しい考え方が求められるわけである。
具体的な仕組み作りに際しては、かなり多くの困難を伴うことは想像に難くないが、この関門をクリアしない限り、救急ヘリの全国整備の展望は拓けない。問題を立法論として捉え、新たな発想に基づき、必要な法制上及び税財政上の措置を取るようにすべきであると主張する所以である。
その第2は、これまで各地において様々な形で救急活用されてきた消防防災ヘリコプターの運用を更に活性化する視点が欠けていることである。平成17年には全国で2,492件の救急出動実績を有し、その救急活動実績が年々向上している消防防災ヘリを上手に活用しない手はないのである(図2)。
救急ヘリという言葉は、通常、単に救急・救助活動に従事するヘリコプター一般を含めて、多様に用いられている。しかしながらHEM-Netでは、今現在整備しようとする救急ヘリは、救命効果を確実に上げ得る特定の要件を具備した救急専用のものに限定されるべきであり、そのことを明確に規定する必要があると考えている。特に、救急医師等を救急現場等に迅速に派遣する機能を備えていることは、必須の条件である。当然の事ながら、ドクターヘリはこの要件を満たしている。
一方、消防・防災ヘリ等は、上記の要件を満たすように、特別の運用体制をとって運用されるものに限り、救急ヘリとして認定すべきである。そして救急ヘリ運用の具体的なシステム設計は、基本的には各都道府県が、その権限と責任において行うべきものであり、国は、そのことを、国の基本方針の中に明確に定める必要があると考えている。
即ち、救急ヘリとしてドクターヘリを導入しても良いし、既存の消防防災ヘリを救急専用として活用しても良いのであり、都道府県が責任を持って、地域の実情に応じ、地域に最も相応しい救急ヘリ運用方式を決定することが大切なのである。救急ヘリ整備の責務が都道府県にあることを明確にすることにより、都道府県間に存在する、救急ヘリ整備に関する温度差を解消することにもつながることが期待される。
以上、平成19年1月通常国会で審議される予定の「救急ヘリ整備措置法案」の内容と、未解決の課題について述べた。
ドイツにおいては、医師が救急現場に到着するまでの法的許容時間をおおむね15分以内とする、いわゆる「15分ルール」が州法によって確立しており、この基盤があるが故に、ドイツ全土で迅速かつ適切な救急医療が国民に対して提供されている。わが国においても、救急ヘリを整備してゆく過程で、救急車と救急ヘリの相互連携の強化を図り、15分ルールの遵守を是非とも実現し、もって国民の安全と安心を確保してゆきたいと考えている。(ASKA21第61号、平成19年1月号所載)
益子 邦洋
(日本医科大学千葉北総病院救命救急センター長)