東日本大震災におけるドクターヘリDMATの活動
認定NPO法人 救急ヘリ病院ネットワーク 理事
日本医科大学千葉北総病院救命救急センター
益子邦洋
2011年3月11日14時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波や火災で多くの尊い命が奪われました。震災や津波によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災され、今もなお不自由な環境の中での生活を余儀なくされておられる方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。また、被災地の一日も早い復旧と復興をお祈り申し上げます。
警察庁発表によれば、4月6日午前10時現在、死者数は1万2468人、行方不明者は1万5091人に及び、東日本大震災はまさに戦後最大規模の大災害となった。
日本医科大学千葉北総病院では、発災当日のドクターヘリ運航時間終了後、直ちに医師2名、看護師2名、機長1名、整備士1名の災害派遣医療チーム(DMAT)を編成し、厚生労働省ならびに千葉県と協議の上、被災地のドクターヘリ参集拠点となっている福島県立医科大学病院へ向けて、ドクターヘリを出動させた。DMATチームは18時35分に千葉北総病院を離陸し、19時54分には福島医大ヘリポートに着陸し、福島県立医科大学病院スタッフと協議の上、ドクターヘリ運航管理室内にドクターヘリの運用拠点を設置した。
3月12日の朝、千葉、福島のドクターヘリ2機で運用を開始したが、その後、群馬(08:25)、静岡(浜松)(09:05)、兵庫(13:05)、大阪(13:14)のドクターヘリが続々と参集し、計6機の運用体制が確立した。日没のミッション終了までに6機のドクターヘリに対して15回の出動コントロールを行い、12名の患者搬送を実施した。千葉ドクターヘリは、午前中に福島県内の病院から郡山市内の病院へ溺水の患者1名を搬送し、午後には東北大学病院から前橋赤十字病院へ急性硬膜下血腫の患者1名を搬送した。
3月13日、午前9時50分に北総DMAT第2隊(医師2名、看護師2名、連絡調整員1名)がラピッドカーで福島県立医大病院に到着し、ドクターヘリ運用に参画した。同日は千葉、福島、長野、静岡(浜松)、大阪、兵庫、山口(10:47福島医大着)、福岡(13:15福島医大着)の計8機のドクターヘリ運航をコントロールし、11名の患者搬送を実施した(図1)。この日千葉ドクターヘリは、霞の目駐屯地の広域搬送拠点(SCU)から山形県内の病院へ脊髄損傷疑いの患者1名を搬送した。
図1 3月13日のドクターヘリ運用ボード
3月14日早朝、宮城県庁内のDMAT本部より、石巻市立病院に孤立している120人の患者をドクターヘリにて搬出する旨の指示があり、福島県立医大DMAT拠点本部に待機するDMAT全隊とドクターヘリ5機(千葉、静岡(浜松)、大阪、山口、福岡)全機の投入を決定し、午前7時30分より各機一斉に石巻市立病院に向け離陸した。同作戦の概要は、5機のドクターヘリにより同病院の患者を石巻総合運動公園、および霞の目駐屯地のSCUに搬出するものであった。9時44分に最初の患者3名の搬送を開始し、途中、余震による作戦の中断があったが、18時23分までの間に90名の患者搬出を行った(図2)。千葉ドクターヘリは27名の搬送を行うと共に、DMAT医師2名が午後より石巻総合運動公園に移動し、患者受け入れと霞の目駐屯地SCUへの搬出のコントロールを行った。
図2 3月14日、石巻市立病院の患者ピストン輸送のため、がれきの中で待機するドクターヘリ
3月15日の早朝、千葉ドクターヘリは福島県立医大へリポートを離陸し、石巻市立病院に孤立している150名の職員に食料を搬送した。その後、千葉北総病院への帰路、骨盤骨折の患者を搬送するために東北大学病院に着陸したが、天候不良のためにこれを断念し、霞の目駐屯地での給油と天候調査を行い帰路についた。
以上は東日本大震災における千葉県ドクターヘリの活動の概略であるが、これはドクターヘリによる活動全体の一部に過ぎない。東日本大震災の初動期に、DMATとして被災地へ派遣され、医療救護活動に参加したドクターヘリは、北海道(旭川)、青森、福島、栃木、群馬、埼玉、千葉、長野、静岡(浜松)、愛知、岐阜、大阪、兵庫、山口、高知、福岡の16機であった。この他、被災地内で医療救護活動を実施したドクターヘリは茨城、千葉(君津)の2機であり、現在全国へ配備されているドクターヘリ26機中18機が災害初動期に活動したことになる。これら全てのドクターヘリ活動の詳細については、現在、日本航空医療学会で集計中であり、近日中に明らかにされることになっている。
振り返ると、平成7年1月17日に発災した阪神・淡路大震災においては、6,000人を超える死者や多数の負傷者が一挙に発生した。消火・救助・救急に携わる人員はもとより、被災地域内における救急車の数は絶対的に不足していた。その上、家屋や電柱の倒壊や道路の破損により、多くの地域で救急車等の道路走行は困難を極め、救助や医療の需要と供給の間には決定的な乖離が生じていた。このような状況下では、ヘリコプターが抜群の威力を発揮するはずであったが、災害発生後3日間におけるヘリコプター搬送例は僅か17例に過ぎなかった。わが国では当時、消防組織が所有する消防防災ヘリコプターが全国に37機配備されており、救急患者搬送を担う役割が定められていたが、これほどの大規模災害であるにも関わらず、初動期において救急患者の搬送にほとんど活用されることはなかった。その理由は、当時、消防防災ヘリの1機当たりの救急患者搬送件数は平均10件/年であり、ヘリコプターが日常の救急医療にほとんど活用されていなかったことによる。救急医療のツールとしてヘリ搬送を日常化しない限り、災害時に利用する事は出来ないことが明らかになった。消防防災ヘリは多目的機であり、情報収集、物資輸送、航空救助、火災時の撒水等の用途も併せ持つため、救急医療に特化した救急医療専用のヘリコプターを導入しようという気運が一気に高まった結果、平成13年度からドクターヘリ事業が本格実施となった。阪神・淡路大震災と今回の東日本大震災を単純に比較することは出来ないが、ヘリコプターを日常の救急医療に活用しているか否かが、災害時の医療救護活動を決定的に左右することがまさに証明された。阪神・淡路大震災を契機として誕生したドクターヘリとDMATは、新潟県中越地震(2004年)、新潟県中越沖地震(2007年)、岩手・宮城内陸地震(2008年)を経て着実に成長し、災害初動期の医療に大きく貢献している。
今後の課題は、ドクターヘリDMATの指揮命令系統の確立、ドクターヘリと自衛隊ヘリ、警察ヘリ、海上保安庁ヘリ、消防防災ヘリ等の一体運用ならびに航空管制・規制に関する制度設計である。わが国における救助・救急関係の組織基盤は、霞ヶ関の省庁縦割りに依存しており、自衛隊、警察、海上保安庁、消防、医療機関はそれぞれ、独自の指揮命令系統を持っていて、自立的な活動を行う能力には大変優れている。その一方で、横の連携、即ち組織横断型の共同行動を行うことが苦手であることがたびたび指摘されている。従って、わが国においても、アメリカ合衆国における連邦緊急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency、略称:FEMA)に準ずる組織を立ち上げ、緊急事態に際して迅速に多機関が調和の取れた活動を展開できるようにすべきである。
また、国の防災基本計画には、「国〔厚生労働省,文部科学省〕,日本赤十字社及び被災地域外の地方公共団体は,医師を確保し救護班・災害派遣医療チーム(DMAT)を編成するとともに,必要に応じて,公的医療機関・民間医療機関からの救護班・災害派遣医療チーム(DMAT)の派遣を要請するものとする。」と明記されている。しかしながら、この中にドクターヘリないしは救急医療用ヘリコプターの名称は全く見られない。今回の大震災では、災害初動期においてドクターヘリDMATが必要不可欠なインフラであることが明らかになった。一刻も早く防災基本計画を改定し、ドクターヘリを災害対策の基本的ツールとして明確に位置付けなければならない。
(アスカ21 第78号掲載論文:2011年4月25日発行)
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