ドクターヘリの現場は「時間との闘い」といわれる。いかに早く安全に患者の元に医療スタッフを送り込むか、そして患者を病院へ運ぶか。それがヘリの運航スタッフに与えられた任務だ。
「はい、ドクターヘリ運航指令室」。日本医科大学千葉北総病院内の運航指令室。CSの平井俊明(39)がホットラインの受話器を取った。CSとは「コミュニケーション・スペシャリスト」の略称。消防からの出動要請を受け、救急隊、病院、ヘリとの連絡調整に当たる“作戦指揮官”だ。
「千葉ドクターヘリ、出動」。平井が運航スタッフに声を掛けた。電話を受けてから3分足らずで、ヘリは離陸した。
ヘリの運航は朝日航洋(本社・東京)など3社に委託。パイロット、整備士、CSの3人が病院に派遣されている。CSは離陸後もヘリに着陸地点を指示したり、フライトドクターや待ち受ける病院の医療スタッフに患者の容体を伝える。緊張が解けるのは、「収容された」という連絡を受けてからだ。
運航は午前8時半から日没30分前まで。時間内はトイレに行く以外は指令室にこもる。整備士出身の平井はこの仕事に就いて6年目。「通信を通じて患者の容体はわかるが、あえて患者のことは考えない。どうすればヘリと患者が最も早く接触できるか、に神経を集中する」と話す。
規定で、日没30分前には要請があっても出動を断らなければならない。「正直、患者が子供の時などは日没直前でもヘリを出したいと思うこともある」と付け加えた。
パイロットの上田昭彦(50)は、常に気象状態を表示するモニター画面をにらむ。飛行できるかどうかを判断するためだ。上田は航空自衛隊の整備士だったが、退官後、アメリカでヘリのライセンスを取得。パイロット歴25年、飛行時間6700時間を超えるベテランだ。
「仕事のうち3割が実際に飛ぶこと。残りの7割、いや、それ以上が天候を読むことです」。ヘリは旅客機と違って、1人のパイロットが自分の目だけを頼りに「有視界飛行方式(VFR)」で飛ぶ。乱気流が起きる積乱雲や視界を悪化させる霧など、危険な気象状態を回避するための“にらめっこ”だ。
「千葉は気流が乱れるような大きな山がないので飛びやすい」と上田は話すが、気になるのは成田国際空港。1日約530便の飛行機が離着陸する巨大空港。時間と高度によっては空港上空を通過する時にホールド(待機)を指示されることもあるという。
「ドクターヘリにとってはわずか3分の待機でも、患者の命にかかわる。迂回(うかい)する方が早い場合が多い」。判断に迷う時間はなく、そういう場合は即座に空域に余裕のある空港南側へ機首を向ける。
もう一つ、上田が気にかけるのが、「成田のIMC(計器気象状態)」。成田空港で視程が5キロ以下(IMC)に落ちると、空港から半径約9キロ以内の管制圏には有視界飛行の飛行機は1機しか飛べないという規則がある。低視程での空中衝突を回避するため、SVFR(特別有視界飛行方式)という規定が適用されるためだ。
しかし、空港から西側約7・4キロの地点には、ヘリポートがありベッド数も多い成田赤十字病院がある。SVFRが適用されると、空域内に別の機がいれば、病院への着陸は不可能だ。
「近ごろはドクターヘリでも、満床などを理由に病院から受け入れを断られることもある。着陸できる病院は多ければ多いほどいい。規則を緩和してほしい」。上田は管制を受け持つ国交省成田空港事務所と粘り強く交渉するつもりだ。
整備士の長崎行男(51)は木更津市出身。7年前にドクターヘリ事業が始まった時、4年間、病院のある印旛村に単身赴任して事業のスタートにかかわった。「チョーさん」の愛称で親しまれる。
仕事は機体整備だけではない。ヘリに同乗して機の調子を確認し、見張りもして安全を確保する。地上では患者のストレッチャーも運ぶ。機体の内外、搭乗する医療スタッフの行動、燃料管理まですべてに気を配る。
長崎は2男1女の父親。長女(28)と次男(22)は看護師だ。次男は今年から県救急医療センター(千葉市)に勤務している。「次男が救急の看護師になったのは、私の仕事が多少影響しているかもしれない。ヘリでセンターに降りて、一緒に患者を運べたらいいね」とはにかんだ。=敬称略(黒川将光、毎日新聞2008年9月23日付より要約)