HEM-Netは2005年2月15日午後、全国町村議員会館で「新潟県中越地震事例検討会――ヘリコプターはどのように活用されたか」を開催しました。パネリストには関係省庁の担当者、地元関係者、ヘリコプター運航会社が参加し、それぞれの活動を報告すると共に、約50人の出席者による討議を行いました。
ヘリコプターの活用は、阪神淡路大震災の教訓を生かして格段に増え、救急搬送は、けがや症状の程度を別にすれば、48時間以内に62人の患者が搬送され、阪神の7人に対して積極的な搬送ぶりがうかがえました。
しかし今後に残された課題も多く、ヘリコプターの飛行について空域、経路、管制などを一本化して組織的な統制をおこなう必要性が感じられました。医療に関しては災害対策本部にメディカル・コントロールの可能な医師派遣が必要ということになりました。ドクターヘリも日常的な利用に加えて、大規模災害時の活用方法をシステム化しておく必要がある、などの問題点が指摘されました。
さらに全体を通して、日頃から関係機関の意見交換や連携訓練が必要であることが強く感じられました
全体の内容は下記目次の通りです。
―― 目 次 ――
開会挨拶「日常的な仕組みが肝要」(國松孝次)
基調報告
・新潟中越地震の事例研究(武居丈二)
・ヘリコプターによる救出救助活動(田村昌三郎)
・ヘリコプターはどのように活用されたか(石川久資)
・警察ヘリコプターの災害活動(米満菊男)
・中越地震における立川基地から救援飛行(平野隆之)
・中越地震における航空局の対応(木村茂夫)
・ドクターヘリ史上初めての災害出動(奥村澄枝)
・さまざまな災害飛行(安川 醇)
・新潟市民病院の医療救護(広瀬保夫)
防災討論「ヘリコプターはどのように使われたか」(司会:邉見 弘・西川 渉)
特別発言「救命は災害時最大の任務」(小濱啓次)
閉会挨拶「関係機関の協力体制が今後の課題」(岡田芳明)
國松 孝次
本日はお忙しいところをお集まりいただきまして、特にパネリストの皆様には心から御礼を申し上げます。
先般の新潟県中越地震で、ヘリコプターがどのように活用されたか。本日は、そのことにつき事例検討会を開催いたしたわけです。私ども「救急ヘリ病院ネットワーク」(HEM-Net)は、日常の救急ヘリ・システムの普及をめざして活動するNPO法人でございまして、大規模災害時にどのようにヘリコプターを使うのか、そういうことについては直接の対象としているものではございません。
しかし、やはり大災害時のヘリコプター利用は、結局のところ、日常的にどのようなヘリコプターの仕組みができているかということと密接に関係があるだろうと思います。日常の仕組みができていれば、災害時の活動もそれなりに円滑に行く。逆に、日常のシステムができていなければ、やはり災害のときにもうまくいかないのではないか、そういう関係があるだろうと思っているわけです。
ただ、先般の新潟県中越地震のときには、これはもう、まれに見る巨大地震だったわけですが、本日ご参列のパネリストの皆さまおよびその所属する組織というものが大変なご活躍をなさいました。私どもはテレビで見るだけではありましたが、10年前の阪神・淡路大震災のときに比べれば、格段の差がある救急活動ではなかったか。その点については心から敬意を表するところでございます。
私どもとしましては、本日この中越地震におきまして、具体的にどのようなヘリコプターの活動が、救急のみならず、いろいろな場面でどのようにおこなわれたか、現場でご苦労なさった皆さま方から直接、生のご発言をいただき、それを参考にさせていただきながら、日常のヘリコプター救急システムの構築のあり方について考えていきたい。その場合の参考になる資料を大いに与えていただけるのではないかということを期待しているわけであります。
以上が本日の事例検討会の開催の趣旨でございます。本日は時間が限られておりますけれども、十分なご発言をいただきまして、この検討会が実り多いものになりますことを祈念いたしまして冒頭のご挨拶とさせていただきます。
総務省消防庁救急救助課長
武居 丈二
(現 福岡県副知事)私どもは、救急救助業務を日常的に遂行しておりますが、平時の体制というものが、中越地震のような災害時、緊急時、有事には非常に効果をあらわすわけです。そこで大災害と通常の体制を絡めながらお話しさせていただきたいと思います。
まず振り返らなくてはいけないのは、今から10年前の阪神・淡路大震災でございます。今日はヘリコプターに関連するお話を中心に資料をまとめてきましたが、当時35機のヘリコプターがございました。現在は69機で、ほぼ倍増しております。
その中身は、阪神・淡路のときには政令市等の消防を日常業務としているところが25機。それが現在なお27機ですから、消防を本来業務としているところは当時からあまり増えていない。一方、当時の災害にかんがみて都道府県レベルで防災に力を入れていこうということで、当時10機だったヘリコプターが都道府県レベルで4倍以上の42機まで増えている。これが大きな特徴であり、大規模災害には広域的に相互に応援するという形で現在の仕組みが成り立っております。
全国のヘリコプター配備状況は北海道から九州まで、それぞれの県で整備されておりますけれども、複数機を整備しているところや、1機体制のところなどさまざまです。
広域応援態勢の強化 消防防災ヘリコプターは基本的に機体を購入して運用しております。年間では、およそ3カ月くらいは整備とか定期点検等で使えない期間がありますので、私どものほうでは全国的な情報共有をはかって、整備点検に入る時期を隣接県でずらし、災害が起こったときに使えない場合は、周辺県から応援に行くような体制を組んでいるところです。特に阪神・淡路大震災の教訓として、広域的な応援体制を整備するために、緊急消防援助隊という制度をつくりました。平成7年のことですが、一昨年6月に消防組織法を改正して強化し、昨年4月から新たな法制度のもとで、より明確に国として、あるいは都道府県がお互いに応援できる仕組みを強化しております。
具体的には10部隊ですが、2,821隊、約35,000人の規模の消防隊員が、広域的に他県に応援に行ける仕組みを組んでおります。その中の66隊がヘリコプター関連の航空隊になります。
特に広域応援の緊急消防援助隊の場合、初動時にはヘリコプターが最も有効な手段になりますので、発災直後の体制には大変注意して、いつでも出動できるような即応体制を準備しているところです。
昨年は大変災害が多かったものですから、新潟県の中越地震以前にも7月の新潟や福井の集中豪雨、10月の台風23号などに緊急消防援助隊が出動しました。そして新潟県中越地震では480隊、隊員2,121名。航空隊は39隊、244名が出動して救助、救急、救出の人員が453名、航空部隊で282名を数えたところでございます。
地震発生直後の行動 次に、新潟県の中越地震が発生した直後の私どものオペレーションですが、23日午後5時56分に地震が発生しました。その直後に、航空隊のほうでは受け入れ準備がなされております。それに併せて、私も10分後に消防庁に参りまして、土曜日でしたけれども、すぐに出動準備依頼を仙台市の先遣隊と埼玉県の防災航空隊にかけまして、25分には出動要請を出しております。これで埼玉県の防災ヘリコプターは、情報を収集しながら19時25分に現地に向かっております。それから仙台市の指揮支援隊も19時30分に現地に向かい、20時40分には新潟空港に到着するという状況でした。埼玉県防災ヘリも新幹線の脱線現場をヘリテレで撮影しながら新潟空港に入っております。また東京消防庁のヘリコプターが私どもの職員をのせて、21時40分に現地に入りました。
こういったことで、10月23日から11月1日までの10日間に、20機の消防防災ヘリコプターが出動しております。主な活動地域は小千谷市、川口町、山古志村、長岡市ですが、皆さま方もご記憶のとおり、妙見堰の皆川優太ちゃんと、お母さんと女の子が行方不明でしたけれども、あのとき朝早く東京消防庁のヘリコプターで現地にハイパーレスキュー隊を送りました。また救出後は新潟県のヘリコプターで病院に届けました。
10月24日は、千葉市のヘリコプターなど、全部で11機が早朝から現地に向かいました。現地では自衛隊、海上保安庁、警察のヘリコプターなどと連携をとりながら活動をしたわけで、総計20機の消防防災ヘリコプターが投入されました。
平時の体制が決め手 現地での統制につきましては、県知事を中心に災害対策本部の中で調整が行われました。私どものほうは要請を受けて、県外から資機材、応援人員を送りこむ。空の調整につきましては新潟県の航空隊長ほか指揮支援隊長のもと、新潟空港にある防災航空隊の事務所で行うという体制をとりました。こうしてヘリコプターによる救急搬送は、発災から48時間で62名の患者さんを搬送しております。これを阪神・淡路大震災と比べますと、初動時の立ち上がりとしては大変有効にヘリコプターが活用されたといえようかと思います。
中越地震 阪神大震災 48時間以内の搬送患者数 62人 7人 1週間以内の搬送患者数 85人 62人
それから阪神・淡路大震災の当時、ヘリコプターによる救急搬送が少なかった理由は、そういう認識が少なかったとか、ヘリコプターの臨時離着陸場が確保されていなかったなどの問題が指摘されています。それに対して今回の新潟県中越地震では、緊急消防援助隊が創設されており、またハイパーレスキュー隊とか高度資機材の整備充実を図っていた。あるいは全国に69機のヘリコプターが配備され、その出動基準ガイドライン、救急搬送ガイドラインなどをつくってありまして、こういった平時の体制が大災害にも生きているのではないかと思われます。
関係機関の連携と情報の共有 それから医療機関との連携が、当時に比べて格段によくなった。また臨時離着陸場の確保などにより、消防防災ヘリコプターの積極的活用推進が図られております。今後の課題としては、地方団体における災害等の危機管理体制が、もっと強化される必要がある。特に県レベルに対して、市町村レベルが全国で3,000団体ほどありますが、まだ温度差がありますので、市町村レベルの危機管理体制の強化が重要になっております。
それから、連絡体制の点検と情報の共有が必要です。情報の共有が図られるか図られないかということで大変な違いが出てくる。山古志村の場合、消防防災無線が使えなくて、現地の情報がなかなか入ってこず、当初はなかなか全容がつかめなかった。こういった点はこれから特に注意していく必要があろうと思います。
それから、関係機関の一層の連携が必要です。今回、長岡市では救命センターの中核病院が3つとも機能したということもあり、十日町市の建物が少し危険になって、そこからの移送も含めまして、受け入れ体制が十分整えられた。そのうえ、長岡の赤十字病院の救急部長さんによれば、1週間前にちょうど災害対応の訓練をやったばかりで、まだ訓練用の張り紙がある中で災害が発生した。そのため看護師さんも含めて非常にうまくいったという話がありました。こういう関係機関との一層の連携が必要だろうと思います。
それから広域的、全国的な応援体制。これは先ほどの緊急消防援助隊等を含めて必要になってくると思います。
さらに、特にこれから口を酸っぱくしてやっていかなければならないのは、地方団体や関係機関との連携の下、災害対応訓練の実施です。これは邉見先生の病院や東京DMATなど、災害時の救急医療体制をお考えいただいて、非常に心強いのですけれども、そういうものと私ども消防、警察、自衛隊などとの連携をどういうふうに図っていくかという問題があります。そこで有効なのは、やはり訓練を通じて培われていくものと考えております。したがって今後、繰り返し、そうした訓練を実施していきたいと考えております。