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北米型ER(緊急救命室)の整備だけでは交通事故死亡者数は減少しない
2008.02.07

医師国家試験に合格した新人医師に対する卒後臨床研修の必修化が2004年から開始され、全ての研修医にプライマリー・ケアとしての救急医療研修が義務付けられた。これに伴い、救急外来診療の新たな形態として北米型ER(Emergency Room)が注目されている。

北米型ERとは、救急車で搬送されたり、或いは自力で救急外来を受診するすべての救急患者を救急医が診療する仕組みで、NHKテレビの人気番組「er(緊急救命室)」によってわが国でも広く知られるようになった。

救急外来にはトリアージナースと呼ばれる看護師が常駐し、救急患者の訴えや病状などから緊急度や重症度を判断し、必要な医師(その多くは救急医であることが多い)をコールする仕組みになっている。基本的に救急隊からの受入要請を断ることがないため、救急患者のたらい回しも発生しないといわれる。

北米型ERが注目される背景には、多くの病院勤務医が過重労働を理由に病院を辞めて開業するようになった結果、全国各地で救急診療当番を辞退する病院が続出し、地域の救急医療体制が崩壊寸前になっている事情がある。一つの病院が救急当番から離脱することにより、他の病院に過度の負担がかかることになり、負担に耐え切れない病院は次々と救急医療から撤退するドミノ現象が全国各地で発生している。

救急車搬送件数は下図に示す如く右肩上がりの傾向を示す。そうした中で、救急患者の診療を担当する病院の離脱は大きな社会問題となっており、このままでは昭和40年代の「救急患者のたらい回し問題」が再燃するのは必至である。

救急出場件数および搬送人員の推移

[資料]「平成18年版救急・救助の現況」(総務省消防庁)
このようなとき、全ての新人医師に標準的な救急対応能力を身につけさせ、もって救急医療需要の増大に適切に対応しようとする医療政策は、まことに時宜にかなったものであるといえよう。また、各地で小児、周産期を含めた救急医療が危機的状況にある現状を考慮すれば、医療機関の集約化、広域化と医療機関同士の連携強化は避けて通れない。このような社会状況を背景に、北米型ERを導入する病院はこれからますます増加すると考えられる。

しかしながら筆者は、こと交通事故等により重度外傷(大ケガ)を負った患者を診療する視点からすれば、日本の現在の「北米型ER」は「魂のない仏」と言わざるを得ず、多くの危険をはらんでいると考えている。それは恰も、平成3年に救急救命士制度を導入した際に、プレホスピタルケアの質を担保するためのメディカルコントロール体制の導入を忘れた過去の歴史に酷似していると危惧している。

米国のレベルⅠ外傷センター(最高水準の外傷診療施設)には全てERが整備されているが、最高水準の外傷診療の質はERの体制そのものによって保たれているわけでは決してない。

米国では1966年にNational Academy of Sciences - National Research Council(NAS-NRC)による報告書「不慮の事故死と後遺症:現代社会における無視されている疾患」が刊行されたのを機に、国家的課題として外傷診療体制のあり方が検討され、体制の整備が進められた歴史がある。

具体的には、米国外科学会外傷委員会により、医師に対する標準的な教育コースであるAdvanced Trauma Life Support(ATLS)が開発され、人材育成が全国規模で行われるようになった。外傷診療施設に関しては、1971年にイリノイ州法で外傷センターの指定が行なわれたのをきっかけとして、全米各地に次々と外傷センターが整備された。

現在、レベルⅠ~Ⅳ(州によってはⅤ)の外傷センターが各州で認定されているが、その根幹をなすのは、米国外科学会外傷委員会の定めた認定基準と、州の法律による外傷センター設置基準である。最高水準の外傷診療機関として有名な、レベルI外傷センターの認定基準は表1のようになっており、外傷入院例は年間1,200人、ISSが15を超える患者数が年間240人または外科医1人につき35人、外傷患者蘇生時の外科医の立会い等が求められている。

表1 レベルI外傷センターの認定基準(抜粋)

外傷入院患者数:1200人/年
ISS>15の患者数:240人/年、または35人/外科医
外傷患者蘇生時の外科医の立会い
手術室スタッフ:24時間院内に常駐
医療の質の改善プログラム、質の改善責任者(外傷専任)
外傷登録(院内のほか、州、地域、地区登録への参加)
外傷教育:院内医師、地域一般医、看護師、救急隊員など
外傷予防活動、市民啓発活動
外部での教育的発表(4回/年)と学術論文数(10篇以上/3年)
米国外科学会外傷委員会

外傷患者数をわが国の常識では考えられないほど高く設定している理由は、重症外傷患者の診療人数が多くなるほど外傷診療の質が高くなることがさまざまな研究で明らかにされたことによる。

また、シアトル市周辺を管轄するワシントン州のレベルⅠ外傷センターに関する法律では、外傷初療は最低卒後4年目以上の外科医によりなされなければならない、コールから医師がERに参集までの許容時間は外傷チーム、麻酔科、脳神経外科で5分と定められており、第三者機関による評価が3年ごとに行われ、引き続き認定されるか否かが決定されることが明確に示されている。

表2 レベルI外傷センターに関する法的規制(ワシントン州法)

外傷初療は最低卒後4年目以上の外科医によりなされなければならない。
コールから医師がER(緊急救命室)に参集までの許容時間
外傷チーム、麻酔科、脳神経外科:5分
放射線科:20分
心臓外科、胸部外科、産婦人科、整形外科、手の外科、形成外科、眼科、耳鼻科、小児外科、泌尿器科、血管外科:30分
外傷センターは、州の規定に従って外傷患者の登録を行い、診療の質の評価と維持・管理に努めなければならない。
外傷センターの認定は3年間であり、期限が切れる以前に機能評価チームによって活動が評価され、引き続き認定されるか否かが決定される。
外傷センターの整備を中心とした様々な外傷診療体制の整備により、防ぎ得た外傷死亡(Preventable Trauma Death; PTD)の割合は、1960年代後半には外傷死亡の1/2~1/4であったが、1980年後半には1/5以下まで大幅に改善したことが報告されている。
米国のレベルⅠ外傷センターを見学したことがある者なら誰でも知っているが、重症外傷の初療に責任を有するのは救急医ではなく外科医や外傷チーム、即ち緊急手術を行う技能を有する医師集団なのである。

ひるがえってわが国の現状を見ると、重症外傷患者は主として救命救急センター等の第三次救急医療機関に搬送されて治療を受けているが、その際に外科手術が可能な医師が立ち会わねばならないということは何処にも定めがない。

2000年と2001年の厚生労働科学研究「救命救急センターにおける重傷外傷患者への対応の充実に向けた研究」により、救命救急センターに搬送されて死亡した外傷患者の4割弱はPTDの可能性があり、外傷診療水準に関して大きな病院間格差のある事が明らかになった。言い換えれば、救命救急センターとして相応しい診療を行っている病院がある一方で、絶体絶命センターと呼ばざるを得ない救命救急センターが存在する事もまぎれもない事実なのである。

筆者はこの研究結果の詳細を、アスカ21 No.49「依然として高い、防ぎ得た外傷死亡率」で報告したが、このようなPTDが発生する背景には、前述した基本的な外傷診療体制の不備があると考えている。

この研究は救命救急センターを対象とした調査であったため、救命救急センターに搬送されずに死亡した事例の分析は含まれていない。そこで筆者は千葉県交通事故調査委員会の活動の一環として、「交通事故死者数の削減を目的とした重点的交通事故ミクロ調査の意義に関する研究」を行い、その結果をアスカ21 No.60「わが国の外傷診療体制は今のままで良いのか?―千葉県調査で明らかになった現状と課題―」で詳細に報告した。

その要点は、受傷現場で何らかの生命徴候を有した80歳未満の患者のうち、救命救急センターに搬送された症例は3分の2であり、残る3分の1の患者は救命救急センター以外の医療機関へ搬送されており、交通事故死亡の7人に1人はPTDと評価されたことである。第三者評価によりPTDと判断された主な理由はさまざまだが、手術が必要な患者が搬送されたときに外科医や心臓血管外科医が不在であったり、緊急参集を要請しても迅速に対応してもらえなかった結果、出血死に至った事例は決して少なくない。

これら2つの調査結果は極めて重く受け止められるべきであり、外傷診療関係者は、北米型ERの体制整備を進める一方で、外傷診療の質を担保する基本的な枠組みを早急に定めるべきである。具体的には、日本外科学会、日本救急医学会、日本外傷学会など、外傷診療に責任を有する学術専門団体が外傷診療施設の明確な基準を示し、これに従って行政が法制度を整備することが肝要である。

外傷センターの要件を定め、これに従って外傷センターを整備し、外傷センターで重度外傷患者を集中的に治療する体制を整備することなしには、交通事故死亡者数の大幅な削減を達成する事は出来ない。(「アスカ21」 No.63、2007年7月25日発行所載)

益子 邦洋
(日本医科大学千葉北総病院救命救急センター長)