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ドクターヘリと外傷センターの整備で交通事故死を5000人以下に
2008.07.08

警察庁交通局の発表によれば、平成19年中における交通事故の発生状況は、発生件数832,454件(前年比-6.1%)、負傷者数1,034,445人(前年比-5.8%)、24時間以内死者数5,744人(前年比-9.6%)であった。特記すべきは交通事故死者数の著しい減少であり、7年連続の減少となると共に、昭和28年以来54年ぶりの5千人台となった。人、道、車、医療の4つの視点から、国をあげて取り組んだ様々な対策が効果を表わしたと評価できよう。しかしながら、国家公安委員会では平成15年に「10年間で交通事故死者数を5千人以下とする」政府目標を立てており、この目標を達成するためには更なる取り組み強化が求められている。

交通安全対策の効果を評価する場合には、「人」「道」「車」という視点を横軸とし、「予防安全、事故防止という事前の対策」「事故で衝突したときの被害を軽減するための対策」「衝突後の被害の拡大を防止するための対策」という視点を縦軸としてマトリックス(図1)を作り、検討することが大切である。その理由は、交通事故対策と一口で言っても、それぞれの枠に示したさまざまな対策があり、これらが相加的、あるいは相乗的に作用して、交通事故による負傷や死亡の削減が達成されるからである。従って、交通事故による死亡が減少したという現象を客観的に検証する場合には、これらの対策の1つひとつについて、どの程度の効果があったかを詳細に検討する視点を忘れてはならない。

筆者は主として、「人」の項の、「衝突後安全・被害拡大防止」といった、事故が起こってからのところで、交通事故による負傷者の救命と被害軽減をめざしている。そのような立場に立って、「医療」の側面から見た交通安全対策の現状と課題について述べたい。

2000年、2001年の厚生労働科学研究により、生命徴候を有して救命救急センターに搬送され、死亡した重度外傷例(大ケガをした負傷者)の約4割は防ぎ得た死亡(Preventable Trauma Death ;PTD)、即ち、救急隊による適切な病院前救護、患者搬送、病院での医療が提供されていれば、死なずに済んだ可能性があることが明らかにされた。この結果は、わが国の医学は世界最高の水準と信じて疑わなかった医学界、特に救急医療関係者に大きな衝撃を与え、ようやく我が国にも外傷診療体制(外傷システム)を整備する機運が高まった。

外傷システムとは、「適切に選別された負傷者を、適切な時間内に、適切な外傷診療機関へ搬送すること」(The Right Patient in the Right Time to the Right Place)と言われる通り、病院前救護、搬送、病院での診療を3本柱として成立している。即ち、交通事故等により大ケガを負った負傷者では、時々刻々病態の悪化を来たし、結果として死に至ることが知られており、救命の鍵は、受傷から1時間以内に手術などの決定的治療を開始できるか否かにかかっている。病院前救護について言えば、事故を目撃した者による迅速な119番通報と応急手当、救急隊員による観察・判断ならびに応急処置、現場活動時間、搬送先医療機関の選定などが、搬送については搬送時間や搬送中に行われる処置の適否が、また病院での医療については医師が診察を開始するまでの時間、初診医の診療レベル、手術やカテーテル治療開始までの時間、輸血開始までの時間などが予後を決定的に左右する。都会の一部では適切な体制が既に確保されていたとはいえ、全国的に見れば、2000年当時、わが国には外傷システムが整備されていなかったと言わざるを得ない。

このような認識に立ち、2001年に厚生労働省事業としてのドクターヘリ事業が開始され、2002年に医師のための外傷初療ガイドラインであるJapan Advanced Trauma Evaluation and Care ( JATECTM)が開発され、2003年に救急隊員のための外傷教育プログラムであるJapan Prehospital Trauma Evaluation and Care ( JPTECTM )が開発され、2004年に外傷登録制度が発足した。このうちJPTECプログラムに関しては、現在では5000名を超えるインストラクターが全国津々浦々で救急隊員等に対する教育コースを開催しており、コースの受講者数はすでに3万人を超え、今もなお増加の一途を辿っている。JPTECプログラムの普及が交通事故死者数の減少にどの程度関わっているかを千葉県で調べたところ、JPTEC受講者の割合が消防吏員の10%以上の消防本部管内における人口当たりの交通事故死者数は、消防吏員の10%未満の消防本部と比べて明らかに低下した(図2)。また、平成13年度から本格実施となった厚生労働省のドクターヘリ事業は、平成19年度末に全国13道府県の14箇所で事業が実施されており(図3)、平成18年度は全国11箇所で出動件数4,444件、診療人数4,253人となり、出動件数は平成17年度に比べ8.4%増加した。

「救急医療用ヘリコプターを用いた救急医療の確保に関する特別措置法」が平成19年6月の通常国会で可決・成立したことから、命を救うヘリコプターが全国へ配備される基盤が整った。厚生労働科学研究の一環として、ドクターヘリ対応事例の実際の転帰を陸水路搬送による推定転帰と比較した結果、従来の救急車搬送であれば死亡していた患者の27%の命を救い、重度後遺症は免れなかった患者の45%について後遺症を削減したと考えられ、ドクターヘリの医学的効果が明らかになった(図4)。

JATECプログラムの普及効果や、外傷登録制度の交通事故死者削減効果については、未だデータを提示するまでに至っていないが、2000年に一旦上昇に転じた交通事故死者数が2001年以降、着実に減少している背景には、外傷システム構築が少なからず寄与していると考えている(図5)。

現在、外傷システム構築の中で残されている最も重要な課題はドクターヘリの全国配備と外傷センターの整備である。生命の危機に瀕している大ケガの交通事故負傷者は、ドクターヘリで外傷センターへ搬送し、受傷から短時間内に適切な救命処置や手術を実施する体制を整備する事により、交通事故死傷者数5000人以下を達成したいと考えている。(「アスカ21」No.66、2008年4月25日発行所載)

益子 邦洋
(日本医科大学千葉北総病院救命救急センター長)