日本の医療は過渡期にある。急速に時代の求める方向に変わろうとしている。この激動の時代に、ヘリコプター救急はどうなっていくのか。日本医療改革の設計図の作者、田中教授にこれからの日本の医療とヘリコプター救急を訊く。
医療は一つではない
本誌 現在の医療体系の抱える問題点をどうお考えですか。
田中 現在の医療体系は、基本的には40?50年前につくられた設計図を元に発展してきたものです。皆民保険体制が進展していって完成したのは1961年でした。その頃の医療は、基本的に急性期医療、それも急性期感染症医療を前提としていたため、医療はひとつの種類であるとの考え方が制度設計の根幹に存在しました。ところが今や、医療は決してひとつの塊としては捉えきれません。保障体制の設計の上でも提供体制の設計の意味でも、医療をひとくくりにして制度の将来を考えてはあり方を間違えてしまう時代だと思います。その変化に制度がついていけていない。それが原因であるかぎり、今後も同じ問題が起きてくると危惧します。
大まかに見ても医療はいくつかのカテゴリに分けられます。救命救急と急性期医療が第一で、ここは基本的に一国の社会資本として、所得等による格差なく平等に提供されるべき世界です。一方、反対側の極地には、老人の終の住処的な分野があって、その中で提供される介護サービスは万人に保障すべきだとしても、居住サービスに関しては所得格差が反映して当然です。しっかりお金を貯めてきた人は、相対的によい居住環境を購入してもいいし、残念ながらあまり稼げなかった人は人権を守るに足るサービスは受けられるけれども、4人部屋のサービスしか買えないかもしれない。このような差がついていい世界と、差がつくことが社会的に好ましくない急性期医療とは、全く違うカテゴリ、違うサービスなのです。
また別のカテゴリには日常医療があげられます。私たちが普段、風邪を引いたり花粉症になったり、切り傷をつくったりという世界ですね。もうひとつは、これからますます重要なカテゴリとなる、生活習慣病の指導管理の分野があります。長期の体の状態、例えば50代でどのくらい内臓脂肪がたまっているかが実は将来の介護の必要性に影響が及ぶと言われています。他にも違うカテゴリがありえるでしょう。
以上のそれぞれについて、保障のあり方を、ある部分は公的に保障すべきなのに対し、別の部分は基本的に自己責任を問うなどと区分する。提供者についても、医療のある部分は非営利が必須と思われるのに対し、別の部分は営利性を伴っていてもかまわないなど、制度設計の思想を分けなくてはいけないのです。それなのに、50年前の発想、急性期感染症医療を中心とした制度が続いているのみならず、医療改革論もそれらをひとつにして論じている。会社経営でもそうですが、50年前の昔ながらのヴィジョンで引きずり、実は自分の会社が提供している商品は一つのカテゴリにはあてはまらないことに気がついてない。こうした状態が医療制度設計における哲学としても一番の問題だと思います。
医療機能の分化が必要
本誌 それは結局、医療の機能的な側面ですね。それぞれに分化した制度設計があるということですか。
田中 そうです。さらにマクロの資源配分の問題があるのですが、日本は急性期医療に国際的に見て極めて少ない額しかつぎ込んでいない。救急ヘリもその典型だと思います。今、日本の急性期病院は危機的な状態に陥っています。医療全体で医療費が増え続けることを理由に、今回の改定でも診療報酬は削られています。ところが実は、急性期医療への資源配分は日本では著しく足りない状態です。世界の急性期病院を見ても、麻酔科医がいない事態はありえないのに、日本では半分の手術は外科医が麻酔を行なっていると言われています。またわが国では、ナースの配置が一番多いところでも入院患者7人に1人にとどまります。ところがアメリカでは1対1、ヨーロッパでも入院患者2人に1人のナースが普通です。このように急性期入院への人員配置が薄く、ドクターも分散しているものだから夜になると小児科の救急はできないなどの事態が起きてしまっている。
医療機能を区分していないから資源集中ができていない。そのため、広く薄く個々の医療機関がすべてのことを提供するような体制となっているわけです。各市立病院が何を提供しているかというと、急性期から慢性期医療、日常医療、全部を担当していても珍しくない。ゆえに院内の診療科目あたりの人員配置が薄くなっている。当然、資源の集中と特化をすべきです。
慢性期医療には麻酔科医はさほど必要ない。全ての病院に麻酔科医を一人ずつ置く体制は無駄の多いあり方です。全ての病院に小児科救急の専門家がいる姿もとてもばかばかしい。医療のある部分では、一定数の医師・看護師を地域ごとに一ヵ所に集める工夫が必要です。国の制度としても医療機関のあり方についても、資源の集中と分化が行われていないためのミスマッチが起きている事態は改めなくてはなりません。
医療機関の連携のあり方
本誌 機能が分化すればするほど、それぞれの医療機関が連携をとっていかないとだめだと考えられますが、連携のあり方についてはいかがでしょうか。
田中 今回の医療改革はそこをとても重視しています。これまでのように紹介すれば済む形にとどまらず、ケアプランを共有するかどうかで点数が違うのです。電話や紙1枚書いてファックスを送れば紹介をしたとして評価されていたのですが、本当の連携とはケアプランを共有することに他なりません。急性期病院と慢性期病院、回復期病院などが、同じケアプランのもとで一人の患者を診るかどうかが大事であって、それぞれが別のプランに基づくのに単に紹介があっただけではなく、今後はケアプランを共有して地域連携パスをつくれるかどうかで評価するという形に変わっていくのです。医療計画も疾病ごとに「どういう流れで一連の医療を受けられるか」、それをきちんと公示させる方向に進化する。だから大きな意味があると思います。
本誌 先日の講演で田中先生は、一つは「シームレス」、ふたつ目に「コンティニュアス」、そして三つ目に「コンプレヘンシブ/連携」というキーワードがあって、その中に救急医療も入るのだと仰っていました。シームレスでコンティニュアス、コンプレヘンシブな医療体系を構築していく流れの中で、ヘリコプター救急は医療体系の中にどう位置づけられるのでしょうか。
田中 現代の医療のコンプリヘンシブ性の中では、病院に担ぎ込まれたところから医療が始まるのではなくて、事故なり心臓発作が起きたところから医療が始まらなくてはならない、そこも包括医療の一環であるという考え方を含んでいないと、コンプリヘンシブとはいえない。このことがヘリコプター救急に関しては最も大きいと思います。救急ヘリの場合、コンティニュイティはあまり関係がないかもしれません。シームレスという言葉は、ドクターができるだけ現場に行くことによって、救急搬送の間のサービスと病院での医療が切れない状態を指します。救急ヘリはコンプリヘンシブネスの代表だといえるはずですが、日本の場合、今までそこを医療だとはあまりとらえてこなかった。
医療資源を集中させる
本誌 急性期医療、救急医療の場合はどこに住んでいてもどんな所得であっても、スタンダードな医療にフリーアクセスできるということが一番いいのだというお話でした。私たちは、そのフリーアクセスを完全に保障するためにこそ、ヘリコプターは広域にサービスができるので、どこに住んでいても、たとえば山奥部に住んでいると医療を受けられないというのはおかしいじゃないかと考えているのですが。
田中 ええ、そうですね。救急医療の場合は、時間との勝負ですからね。私の若い研究仲間である国際医療福祉大学の河口先生が、県に1つとか多いところで県に数カ所の全国の三次救急病院の救命救急センターまでの救急車の平均到達時間についてGPSを使って測った研究をしています。その研究によると、東京はどこにいてもだいたい15分から20分で行ける。救急センターの数も多いですし、道路もありますし。最も悪い県は長崎で、60分を超えてしまう。この値は県内の平均ですが、平均で60分を超えるとは、本当は2時間かかる人もいるわけです。救急車だけだとこうなってしまう。
ではこの格差をどうしたら是正できるのか。ほうっておくと、救急病院を増やすという結論になりかねない。そうではなくて、移動手段を開発したほうがはるかに安い。ERに関しても、あちこちの病院が3?4人用のERを持つよりも、資源を集中して10人以上の大きいところをつくったほうが絶対に効率がいいのです。いつも稼働しているし、人も常駐しているから「いま満員です」といって断る事態が減る。4人のところが満員になる確率と10人のところが満員になる確率は、当然10人のところの方が少ない。10人のところに9人が来てもまだいっぱいではないが、4人のところは4人来てしまったらいっぱいですから。4人のところをあちこちにつくると、みんな満員になる可能性があります。
ですから、麻酔医にしろERの専門医にしろ集中したほうが効率的なのです。余裕を持たせるためには、人員も施設も大きいほうがいい。そうなると、むしろ移動できるほうが経済学的にも経営学的にも効率的だといえます。あちこちに救命救急病院をつくることは、今の医師の人員配置からするとかえって状態を悪化させることになります。
都道府県単位の医療運営と格差
本誌 地域間競争を前提にして、格差を認容して「優れた先進性」を伸ばす制度設計を考える場合、競争の範囲はどの範囲になるのでしょうか。
田中 今後は、政管健保も都道府県単位の運営に変わります。保険としては政管の名前は残るのですが、運営のユニットは都道府県に移管される。都道府県単位で保険料も違う時代がくるのです。国会を通れば、高齢者制度も県単位で、市町村の広域連合がユニットをつくることになります。他方、市町村単位だった高齢者医療を都道府県単位にする。片方を集約し片方を分割しますが、医療はやはり県単位でないと動きにくいからです。政令指定都市は別として基本的には県です。
本誌 つまり県ごとになれば、多少先進県があり、遅れた県がある、その格差も構わずにどんどん進んでいけば良いのでしょうか。
田中 そこは割り切らざるをえないかもしれません。ヴィジョンも都道府県ごとに考えることができます。たとえば「命を守る県!」などのスローガンを、先進的な県の知事に叫んでもらってもいいのではないでしょうか。こういう分野は、県単位から入ったほうが好ましいと考えます。もともと都道府県で医療格差は著しい。たとえば、健康度における差、平均寿命における差、自殺率における差など、都道府県の差は実際のところ著しく見えています。そうした結果指標を平等にすることは不可能ですからね。
本誌 実際ドクターヘリは進んだ県から配備されていっているわけですが、ヘリコプター救急というのが本当に必要なニーズのある県は、小さい県なのです。
田中 先ほど話が出た、たとえば長崎ですね。それから東北。青森の方々は下北半島も津軽半島も、ヘリコプターどころか必要なドクター数さえ確保できずに苦しんでおられる。
本誌 各県ごとにヘリコプター救急のしくみを整備をしていこうとするとき、唯一最大の問題はヘリコプターの運航費用を県が出せないということです。ヘリコプター救急をやる気があってもやるお金がない。今、ドクターヘリの運航費用は年2億円ですが、そのうちの1億円は国が出します。残りの1億円を県が出す。これが標準的なケースですが、この1億円が出せない。今、お金の有る無しが格差になって、中小県への配備が後に回っていますが、後に回る県ほどヘリコプター救急が必要なのです。私たちは、お金の有る無しが格差になっている現実を変えなければならないと考え、県の予算からの財源がないということであれば、保険を使ってはどうかと提案しているところです。
田中 アメリカとスイスでは私保険だから選択的にできるので当然です。しかし、ドイツ、フランスの保険制度は、日本に似ています。
本誌 だから、日本でもやれないことはないですね。
請負型診療報酬体系の使い方
田中 ドイツの急性期病院は予算制なのです。ケースミックスを加味した年間定額請負いで出来高払いではありません。
本誌 先生は、現行の出来高払い制の診療報酬体系は、救急、小児、在宅の各医療については再検討を必要とするとされ、これらの医療については、システムの維持管理費用を保険側が事前に手渡す請負型の診療報酬体系の整備を提唱しておられますね。
田中 在宅の場合には、患者さんに選ばれないと報酬が来ない仕組みですが、出来高ではなく、一人一ヶ月あたりの包括的な支払い方が存在します。日常医療と違い、注射一本でいくらという形態ではないほうがいいからです。「あなたの健康を請負います」という方式です。
一方、救急医療は、事前に誰が患者になるかとを予定できないので、救命救急医療ができる医療機関には、資本整備の部分は資本コストとして渡してしまう。そして変動費は出来高として渡す組み合わせが向いていると思います。組み合わせにせず全部事前に渡してしまうと働かなくなる恐れもあるので組み合わせるのです。
ヘリコプター救急に関していえば、誰かが救急ヘリの費用の財務リスクを負わなければならない。県なのか、医療機関なのか。基本的にはシェアをするのだろうけれども、最後に意思決定をする主体は資本コストを渡された医療機関がしたらどうかと私は最近考えています。医療機関が請負いでもらっている費用の中でヘリの運航も決める。つまり、出動依頼電話を受けた段階で、ヘリを飛ばすか飛ばさないかというトリアージを、医療機関が、あるレベルの救命救急医が判定する。もし運悪く救急患者が予定より多く発生したらその年は赤字になるかもしれないが、それは医療機関が負う形でよいと思います。
本誌 そのリスクを保険でカバーすることはできますか。
田中 出来高との組み合わせなので、100%赤字になると困るのですが、平均的に予想される1年間の費用を渡しておいて、救急ヘリを飛ばすかどうかの判断によって財務が多少違ってくる。逆に最後にリスクを全部保険側に負わせる形態はきついと思います。
救急ヘリ事業の支払基金
本誌 出来高払いの場合は、患者がいくら払ったかは明確になっているので、それを一定の機関が一括代払いをするというのは理屈が通りやすいのです。けれども事前払い請負制の場合は、対象になる患者の姿が見えないので、誰が、どのように分担して支払うのか、その仕組みの決め方が難しいように思います。
私たちは、ヘリコプターの運航費について一括して支払いを担当する支払い機構「救急基金」のようなものをつくって、そこが保険者、国、県、あるいは大きな会社からの寄付とかの大きなお金をプールしておいて、年間100億なら100億をヘリコプターに当てて運用していくというのがいいのではないかと考えているのですが。
田中 それはいい考えですね。そこが役人の天下り先にならないことを祈りますが。
個別支払いにすると負担できない金額になるでしょう。介護保険ではすべてを出来高にすると給付管理を行なうケアマネジャーが大変なので、介護予防についてはひと月単位の定額払いになります。ある程度、包括払いにしないと過大な管理業務が発生するからです。いずれにせよ基金が寄付を受けとれるようにするといいですね。今の保険支払い機構や国保中央会はそういう機能を持っていないので独自の機構が必要です。自動車交通関連企業からは毎年多額の寄付を得ておかしくない。「自動車産業の最大の周辺事象である事故の救急に対して寄付をして下さい」と言うための受け皿としての基金です。
本誌 年間、運用資金が100億あれば、全国50機ドクターヘリコプターを全県配備できるわけですから、そういうしくみが必要だと思います。
田中 その基金案に賛成です。そこが資金を一括して全国で扱う。そしてヘリコプターを飛ばすかどうか、たまには間違えることもあるでしょうが、それが正しいかどうかのトリアージをするしくみは、各医療機関が持つ。医療機関がリスクを背負い自己管理する。患者さんは資本費の割りかけ分ではない少額の自己負担をする姿になるのでしょうか。
ヘリコプター変動費に「移送費」の適用
本誌 現在の厚労省保険局は、診療報酬体系のなかにヘリ運航費用を入れる考えは、今のところ全く持っていないようです。診療報酬体系の外にある「移送費」のなかで考えていくことは必ずしも不可能ではないとする意見もあるようですが、いかがお考えですか。
田中 それは可能ですね。固定費は別口で寄付を中心として包括払いをしておいて、燃料代やパイロットの人件費など変動費部分は移送費を充てる発想は適切だと思います。日本の健康保険制度は現金給付のしくみをもってきました。出産費や埋葬費と移送費などです。介護保険は事業者代理受領とはいえ、法律上の保険給付は現金給付であるのに対し、診療報酬は原則現物給付の制度設計になっているので、新しい現物給付を入れる際はいつも苦労します。他方、現金給付の場合は上限をいくらかかるかと決めてしまえば保険数理上は計算しやすい。
本誌 厚労省の資料によると、移送費は「最も経済的な通常の経路および方法で輸送した場合に限り保険者が払ってよい」となっています。救急ヘリコプターを使った場合の移送費はどうでしょうか。
田中 埋葬費や出産費のように金額を決めてしまえば運営しやすくなります。そのたびに実費請求されてはたまらないので、ヘリコプターを使うことによる1回あたりの変動費はこの水準ですと決めてしまえば済む。
本誌 厚労省の資料によると「現に要した費用を払う」と言っています。
田中 タクシーの場合はまさに距離メーターですが、ひとつの県の中では、そんなに変わらないので1回あたりいくらですと決めて構わない。1飛行で距離が10km20kmの差はほとんどないと思います。診療報酬ではなくて、保健の中の移送費のほうが理論的にも合致する。現物給付の世界は上限金額を設定せず、医学が進歩すれば最適な医療を給付する形になっていますから、最終的な金額は保険者にとっては事前に分からない。しかし、移送費は事前の設定が可能です。
医療法改正案とドクターヘリ
本誌 ここが請負型の救急ヘリの財務リスクを負うトリアージもする救急医療病院なのですね。では、医療法改正案について、救急ヘリに関する先生の見解をお聞かせ下さい。
田中 今度の医療計画は一連の医療の流れを、主な疾病ごとに「あなたはこの流れで医療を受けられます」と医療機関の名前を全部出します。5年後の目標値を全て県が公表し、5年後には検証しなければならない。救急救命率もおそらく指標として出されるでしょう。都道府県間のベンチマーク競争は、たとえば「当県は脳卒中を起こした方の24時間内の死亡率は何%」と目標値を立てなければなりません。
そういう時の目標値改善のためのツールは何でしょう。ドクターヘリはその最良の手段ではないでしょうか。時代環境は追い風ですね。お金が広く薄く流れる形態は避けなければなりません。資源は集中しないと効果はない。だったら患者を運ぶ、あるいはドクターを一人連れて行く方法を持つほうが良いのであって、医療施設をたくさんつくる政策は無駄なことです。お金の問題より人の配置の問題です。
公的制度や公的機関の効率性と社会的意義が問われている時代に、より公益性の高いサービスをしないといけない。ヘリコプター救急体制構築支援はその公益性の代表と思えます。
(HEM-Netグラフ、2006年夏号所載)